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ニューヨーク、プラザホテル。歴史と名作の片鱗。


Plaza Hotel / Erik Daniel Drost

ニューヨーク五番街。セントラルパーク沿いに歩を南に進める。NY市民の憩い場を端を右に折れ、この通りを西に1ブロック歩くと、歴史の舞台にたどり着く。それが「プラザ・ホテル」である。

 

1985年。中曽根内閣の大蔵大臣、竹下登氏はこの年の初秋、プラザホテルにいた。当時の先進5ヶ国(米、英、日、仏、西独)の蔵相・中央銀行総裁が集ったこの会議ためである。この場で、「ドルの救済を目的とする円高ドル安誘導」を承認。基軸通貨として金の裏づけをなくしたニクソンショック以来の金融界の大事件となった。「ドルは弱くしてもやむを得ない」、それを意味することを正しく理解できていた日本人はほとんどいなかったであろう。日本経済の混迷の口火を切った会議でもあった。

 

これを契機に日本は内需拡大政策に舵を切る。バブル時代の夜明けである。すでに低成長期に入っていた日本。有力な投資先がないなかでの内需拡大政策は、必然的に「土地神話」にすがりつくように不動産市場へ資金が流れ込んだ。成長を伴わない過剰な投機の行き着く未来は破綻でしかなかった。

 

この世界的な金融システムの微調整は、おおくの人の人生を変えたことであろう。それが、このホテルの部屋で決められたことが興味深い。

 

 

1959年公開のアルフレッド・ヒッチコックの名作『北北西に進路を取れ』(North by northwest)は、このホテルでロケが行われた。あえてセットを組まなかったのは、ヒッチコックの意向とされる。主演のケーリー・グラント(『めぐり逢い』『シャレード』)は実際にこのホテルに滞在していた。
ヒッチコックがこのホテル内で描いたシーンは驚くほどシンプル。ハリウッドから一団をなしてニューヨークまで来る必然性を感じさせない。しかし、実際にこのホテルで撮られた事が、画面の隅々までに臨場感を与えている。ロケであったことが、ホテル内での動きをもフィルムに焼き付けることができている。ヒッチコックの狙いが見えてくる。架空のスパイを実在するスパイと誤解されるシーンは、当時のニューヨークの雰囲気をも今に伝える名シーンだ。
プラザ合意に関わった竹下氏も、ヒッチコックもケーリー・グラントも今はこの世にはない。当時の様子を知ることができる手がかりはこのホテルの醸し出す雰囲気だけ・・・。そんな日もまもなくである。
歴史の舞台と名作の一翼を担った陰の主役は今日も、淡々と宿泊者をやさしく迎えている。

 

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