ゴルファー必見。 お役立ち情報!

Category: ゴルフモード・カルチャー


ブランド化は、上昇気流にのって。~サントリー・プレモルに見る市場のダイナミズム~

ゴルフモードカルチャー2

 

ビール事業に参入して40年余りの年月を経て黒字に転換したサントリー。その牽引役となったのは、ご存知『ザ・プレミアム・モルツ』(プレモル)である。

 

 

 

長年赤字に苦しんできたサントリーのビール部門が反転攻勢のきっかけとなったこの商品。

 

勝因は、徹底した高級化路線にある。

 

市場に高級ビールの商品が少なかっため、未成熟の高級ビール市場でシェアをとることができた。キリンビールの、『キリンラガービール』、アサヒビールの『アサヒスーパードライ』という看板商品は、一般市場向け。高級ビールは、サッポロビールの『ヱビスビール』位しかなく、ライバルの数が少なかったのである。

では、なぜサントリーは、高級ビール市場に商品を供給しようとしたのであろうか。

 

もともと『モルツ』ブランドは、一般市場向けの商品で、『ザ・プレミアム・モルツ』はそれを衣替えしたものだ。

 

2強と一定の固定ファンのいる『サッポロ黒ラベル』(サッポロビール)に挟まれた苦しい立ち位置だったとはいえ、高級化路線への転換は、一見するとリスクでしかないようにも映る。

 

しかし、『ザ・プレミアム・モルツ』の勝算は、ビール系商品の推移を正しく見極めた戦略の勝利である。サントリーは、しっかり勝ちのイメージをもっての転換だったのだ。

 

長引く不況は、消費者の財布の紐を固くし、嗜好品であるビールはその価格を厳しく見極められる商品となった。売れ筋は、発泡酒、さらには第3のビールへとシフトする。

 

物語はそこで終わらない。消費者は、味も満足度も落ちる発泡酒、第3のビールを飲み続けるうちに、「たまには、本格的なおいしいビールを飲みたい。頻繁に飲まないのであれば、少々高くてもいい」という考えを募らせていく。

 

各メーカーが売れ筋商品を追求していくうちに、消費者が自分たちの内面に「高級ビールへの渇望つまり、市場ニーズを形成していたのである」

 

「たまに飲むビールは、おいしいく高級なものを!」

 

ここで、ポイントとなるのは、その受け皿が、『ラガービール』や『スーパードライ』になりにくかったことにある。

 

消費者が、わかりやすく「これは高級ビールである」と認知する仕掛けがこれら2つには欠けていた。

 

それは、「名前」「色」「イメージ」で、そして、期待を裏切らない味である。

 

 

プレモルは、名前に「プレミアム」という高級感を喚起させる名前をいれ、商品のテーマカラーは、「ゴールド」を採用。テレビCMでも、金が目立つように工夫した。さらに、徹底した営業戦略で、高級レストランでの採用に尽力している。

 

高級化路線へ舵を切る決断さえできれば、日本のメーカーの技術力をもってすれば、高級ビールとして差別化できるビールは、高すぎる壁とはなりにくい。

それは、『ザ・プレミアム・モルツ』の味をもってして証明されている。

 

そして、この相乗効果として、プレモルはブランド化にも成功した。ブランド化は、言い換えると高級イメージ化でもある。高額商品は、イメージを売る、夢を売ることでもある。 『シャネル』しかり、『グッチ』しかりである。

 

日本のビール市場に少なかった高級ビール市場。それを自ら開拓し、自らをブランド化するまでに牽引したプレモル。

 

キリンビールやアサヒビールなどの先発の勝者からプレモルがうまれなかったことは、マーケットのダイナミックさを感じる。

 

言い換えると、成功したビジネスモデルは、つねに破綻の危険に晒されているとも言える。

 

未来に確定していることは何もない。これはビジネスと厳しい掟でもある。

ニューヨーク、プラザホテル。歴史と名作の片鱗。


Plaza Hotel / Erik Daniel Drost

ニューヨーク五番街。セントラルパーク沿いに歩を南に進める。NY市民の憩い場を端を右に折れ、この通りを西に1ブロック歩くと、歴史の舞台にたどり着く。それが「プラザ・ホテル」である。

 

1985年。中曽根内閣の大蔵大臣、竹下登氏はこの年の初秋、プラザホテルにいた。当時の先進5ヶ国(米、英、日、仏、西独)の蔵相・中央銀行総裁が集ったこの会議ためである。この場で、「ドルの救済を目的とする円高ドル安誘導」を承認。基軸通貨として金の裏づけをなくしたニクソンショック以来の金融界の大事件となった。「ドルは弱くしてもやむを得ない」、それを意味することを正しく理解できていた日本人はほとんどいなかったであろう。日本経済の混迷の口火を切った会議でもあった。

 

これを契機に日本は内需拡大政策に舵を切る。バブル時代の夜明けである。すでに低成長期に入っていた日本。有力な投資先がないなかでの内需拡大政策は、必然的に「土地神話」にすがりつくように不動産市場へ資金が流れ込んだ。成長を伴わない過剰な投機の行き着く未来は破綻でしかなかった。

 

この世界的な金融システムの微調整は、おおくの人の人生を変えたことであろう。それが、このホテルの部屋で決められたことが興味深い。

 

 

1959年公開のアルフレッド・ヒッチコックの名作『北北西に進路を取れ』(North by northwest)は、このホテルでロケが行われた。あえてセットを組まなかったのは、ヒッチコックの意向とされる。主演のケーリー・グラント(『めぐり逢い』『シャレード』)は実際にこのホテルに滞在していた。
ヒッチコックがこのホテル内で描いたシーンは驚くほどシンプル。ハリウッドから一団をなしてニューヨークまで来る必然性を感じさせない。しかし、実際にこのホテルで撮られた事が、画面の隅々までに臨場感を与えている。ロケであったことが、ホテル内での動きをもフィルムに焼き付けることができている。ヒッチコックの狙いが見えてくる。架空のスパイを実在するスパイと誤解されるシーンは、当時のニューヨークの雰囲気をも今に伝える名シーンだ。
プラザ合意に関わった竹下氏も、ヒッチコックもケーリー・グラントも今はこの世にはない。当時の様子を知ることができる手がかりはこのホテルの醸し出す雰囲気だけ・・・。そんな日もまもなくである。
歴史の舞台と名作の一翼を担った陰の主役は今日も、淡々と宿泊者をやさしく迎えている。

 

RSSリーダーで購読する