「がんを経験された方のお話」 リンパ節が痛くなって初めて気づいた
「がんを経験された方のお話」 Yさん
がんを経験された方々の貴重な体験談をご紹介します。
※がんを経験された個人の方のお話をもとに構成しており、
治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。
リンパ節が痛くなって初めて気づいた
しこりのない両側の乳がん
Yさんの乳がんが発覚したのは28歳の時。
きっかけはある日、右の脇下が痛くなったことだった。
何日たっても痛みがひかず、ついに夜も眠れないほどに。
母も40代で乳がんを患った為、もしかしたら自分もという可能性は感じていたが、
でも、まさか20代でなるとは思っておらず、検診も受けていなかった。
その母に相談すると、「乳がん自体に痛みはない」と言われ安心した。
しかし、看護師の姉から、
「何にもなかったら何にもないでいいから、
とにかく一度病院でみてもらったら?」
と言われ病院へ。
検査の結果、両側の乳房にがんが見つかった。
しこりを作らない種類のもので、がんはすでに乳房全体に拡がっていた。
脇の痛みは、リンパへの転移によるもので
大きさ的にも、場所的にも乳房温存という選択肢はなく、
手術で両側の乳房全摘という説明を受けた。
喪失感を持たずにすんだのは、
同時再建手術という方法をとったから
主治医は、女性で同世代ということもあり
Yさんの気持ちをすごく考え、向き合ってくれた。
乳房全摘の告知の段階で、今までと同じふくらみをつける
「乳房再建」という手段があることまで教えてもらい、
その方法の手術を受けることにした。
7時間の手術が終わって目が覚めたとき、
そこにふくらみがあったおかげで、喪失感はなかった。
明るく支えてくれた、がん経験者の母
母は乳がんになってから15年たっても元気で、明るい性格。
そんなの母の存在はYさんを安心させてくれた。病院へもいつも付き添ってくれた。
寡黙な父は、パソコンが欲しいと言ったら買ってきたり、
猫が欲しいと言ったら2匹ももらってきたり。
「お金は気にせず、好きなようにやりなさい」と、父なりに見守ってくれた。
家族に支えられ、治療に専念できた。
保育士という仕事、職場の同僚や先輩の言葉が、
社会につなぎとめてくれた
病気がわかったときは、保育士の仕事を辞めるつもりだった。
しかし、職場の同僚に「戻って来て、無理だったら辞めればいい」と言われて思いとどまった。
入院中の病棟の窓から見える病院の託児所の子どもたちの姿に、自分の職場の子どもたちが重なる。
見るたびに自分が働けない悔しさを感じる。と同時に「絶対、職場に戻るんだ!」と改めて強く感じ、
それを励みに治療を耐えた。
そして、1年間の休職を経て、いざ復帰。
ところが、右のリンパをとっているため、重たいものが持てない。
保育士なのに、赤ちゃんや、泣いている子を抱っこすることができない。
負い目を感じたYさんに職場の先輩は、こんな言葉を掛けてくれた。
「保育士はいろんな人がいていい。絵本が上手に読める人、
絵が描ける人、歌が子どもと楽しく歌える人、抱っこするだけが仕事じゃない」
その言葉に支えられたYさんは、保育士としての自信を取り戻していく。
普通の30代の独身の女子として生きたい。だから働く
「今の私にとって、仕事は名刺みたいなもの。私が私です、という証明です」
働いて、そのご褒美として遊んで、そしてまた働こうという活力がわいてくる。
そうやって生きていく。
そんな普通のことを幸せに感じることが出来るYさん。
新しい胸も、だんだん自分の胸になってきた気がするそう。
同じ病気の友人との出会いや、昔からの友人、お世話になった先生方、そしてもちろん家族、
周りの人にめぐまれていることへの感謝。
「病気にしばられてクヨクヨするより、私は、同じ1日なら楽しんで笑っていたい。
自分のための人生ですから」
今、Yさんは、病気になる前のようなキラキラした自分に戻れた気がしている。