世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,24 戸田藤一郎
ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言
ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?
ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。
第24回は、
鬼才!日本最強のプロゴルファー。
★戸田藤一郎
出身:兵庫県・神戸市
生年月日:1914年11月22日
没年月日:1984年7月11日(69歳)
半端なゴルファーほど自分のスウィングについて
語りたがる。
昭和8年、当時18歳で第一人者の宮本留吉を1打差で下し、関西オープンで優勝する快挙を打ち立て、昭和14年(1939年)には、24歳で日本オープン、日本プロ、関西オープン、関西プロに勝ち、当時の年間グランドスラムを達成している。日本男子プロゴルフ界に、初めての年間グランドスラマーが誕生瞬間である。(日本で2人目の年間グランドスラマーとなったのは、1975年の村上隆)
戸田は、海外でも足跡を残しており、1936年のハリウッドオープンでは2位と健闘した。同年には台湾出身の陳清水とともに日本選手マスターズ初出場を果たし、29位に入っている。
後に戸田の代名詞となる「パンチショット」は、この遠征中にハリー・クーパーにアドバイスをもらったことをきっかけとする。
アメリカ人選手にも引けを取らない戸田のドライバーショットは、300ヤードのロングドライブ。一緒にラウンドしたボビー・ジョーンズを驚かせたという。サム・スニード、ジーン・サラゼンなど、名高い選手からの評価も高かった。
そんな活躍の中で、私生活の堕落と倶楽部メンバーのクラブを勝手に売り払ったことから、1948年にゴルフ界を追放される。10年以上と永く出場停止と不遇の時代があったが、1959年にプロ復帰を許されると、パンチショットを駆使して年齢を重ねてからも輝きを放ち、1963年には48歳の最年長で日本オープンに優勝。1971年には56歳にして関西プロを制している。
2012年、第1回日本プロゴルフ殿堂入り。
戸田藤一郎の破天荒な勝負師人生を知る1冊
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本当は小心者だった。だから女に溺れ大酒を飲んだ。でも人に隠れて、猛練習をした。心を読まれないように黒いシャツ、黒いズボン、黒い眼鏡で試合にのぞんだ。武器は、「右手はアクセルや。右手のスピードで飛ばすのや」300ヤードのロングドライブと、風を切り裂いてピンに絡むパンチショット。十八歳で初優勝、二十四歳でグランドスラムを達成し、戦争の十年をはさんでまた優勝、戸田藤一郎の破天荒な勝負師人生。解説・陳 清波。
(出典:Amazon)
出版社 : 小学館 (1999/9/1)- 発売日 : 1999/9/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 299ページ
- ISBN-10 : 4094170510
- ISBN-13 : 978-4094170511