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Category: 世界の名プレイヤー【今月のお言葉】


世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,30 ゲーリー・プレーヤー

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第30回は、

 

ジャック・ニクラス、アーノルド・パーマーと並んで「ビッグスリー」の一人

 

 

“南アの黒豹”

 

★ゲーリー・プレーヤー(Gary Player)

 

 

出身:南アフリカ共和国・ヨハネスブルグ
生年月日:1935年11月1日(86歳)

 

 

 

一生懸命努力すればするほど、運は味方する。

 

“The harder you work, the luckier you get.”

 

 

 

画像:wikipedia

 

 

1935年に南アフリカのヨハネスブルグで生まれたプレーヤーは、14歳でゴルフを始め、1953年、18歳でプロに転向します。そして、プロ転向4年後にPGAツアーに初参加。1959年の全英オープンでメジャー大会初優勝を達成。マスターズ・トーナメントは1961年、全米プロゴルフ選手権は1962年に初優勝を果たし、ついに1965年、男子ゴルフ史上3人目(ジーン・サラゼン、ベン・ホーガンに続く)となる「キャリア・グランドスラム(世界4大メジャー大会制覇)」を達成しました。

 

プレーヤーの優勝回数は100勝を上回り、メジャー大会優勝記録は通算9勝。これは、ベン・ホーガンと並ぶ歴代4位タイ記録となっています。1974年に世界ゴルフ殿堂が設立されるとすぐに、プレーヤーは殿堂入りを果します。

 

ゴルフクラブなど使用するウエア、用具をすべて黒色で統一していることから、「南アの黒豹」と称され、ジャック・ニクラス、アーノルド・パーマーとともに『ビッグスリー』として、世界のゴルフシーンを常にリード。今なお、プロゴルフ界の重鎮として多大な尊敬を集めています。

 

出典
Wikipedia

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,29 バイロン・ネルソン

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第29回は、

 

米国ゴルフ史上に残る名選手

 

★バイロン・ネルソン(Byron Nelson)

 

 

出身:テキサス州ワクサハチー
生年月日:1912年2月4日
没年月日:2006年9月26日(94歳没)

 

 

 

死ぬまで『欲』はまとわりつくが、

 

練習することによって『不安』は即座に解決される。

 

 

 

画像:wikimedia

 

バイロン・ネルソンは、1912年アメリカ・テキサス州ワクサハチー生まれのプロゴルファー。同郷、同じ年生まれにベン・ホーガン、サム・スニードがおり、彼らと並ぶ偉大なゴルファーであった。フルネームは John Byron Nelson, Jr. というが、「バイロン・ネルソン」の名前の方がよく知られている。

 

バイロン・ネルソンは、ベン・ホーガンと共にレンガーデンのキャディとして雇われ12歳で初めてクラブを握る。17歳になるとトップアマとして知られるようになり20歳でプロ転向を果たす。

 

PGAツアーで通算「52勝」を記録し、メジャー大会でもマスターズ2勝、全米オープン1勝、全米プロゴルフ2勝、総計「5勝」を果たした。バイロン・ネルソンが保持する記録としては、年間公式戦18勝、11連勝、19ラウンド連続60台、120ラウンドの平均ストローク68.33、72ホールズ259ストロークの世界記録などがある。これらはいずれも1945年に成し遂げられ、いまだかつて破られていない大記録である。

 

1946年を最後にツアーから引退するも、その後もマスターズには出場し続け、長年スターターを務めた。1974年に世界ゴルフ殿堂が設立された際に殿堂入り。晩年は彼の名前を冠したPGAツアー大会「バイロン・ネルソン・クラシック」のホストを務めた。2006年9月26日、老衰のため94歳で死去。

 

 

出典
Wikipedia

バイロンネルソンカントリークラブ

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,28 申ジエ

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第28回は、

 

最終ラウンドで強さを発揮する「Final Round Queen」

 

★申ジエ 

 

 

出身:韓国・全羅道
生年月日:1988年4月28日

 

 

 

“負けないメンタル”と“勝つメンタル”は

 

一見同じ意味のようですが、明らかに違いがあります。

 

出典:Number web

 

 

画像:wikimedia

 

父の勧めで11歳からゴルフを始め、2007年に韓国ツアー19戦10勝と驚異的な勝率を記録。
08年「ヨコハマタイヤPRGRレディスカップ」で日本ツアー初優勝。同年「全英リコー女子」を含む米ツアー4勝。09年に米ツアーの賞金女王となり、10年に世界ランキング1位にも到達。

14年からは身体的な負担を理由に米ツアーの会員資格を放棄し、主戦場を日本に移した。15年「meijiカップ」の第2ラウンドから「CAT Ladies」の第1ラウンドの4番まで81ホール連続ノーボギーを続け、当時の日本記録を更新。

18年はツアー史上初となる公式戦(メジャー)年間3勝を達成し、7年シードを獲得。19年には平均ストローク「69.9399」をマークし、ツアー史上初となる60台を成し遂げた。20年「富士通レディース」優勝で生涯獲得賞金は10億円を突破。同年は「TOTOジャパンクラシック」も制した。
21年「ニチレイレディス」に続き「大東建託・いい部屋ネットレディス」を制して日本で28勝目。

(出典:GDOニュース

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,27 ブライソン・デシャンボー

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第27回は、

 

世界一の飛ばし屋

 

ブライソン・デシャンボー

 

 

出身:アメリカ合衆国 カリフォルニア州 クローヴィス
生年月日:1993年9月16日 

 

 

 

僕はある意味、ゴルフ科学者です。

 

僕はそれぞれ、すべての視点からゴルフコースと

 

自分のプレーを分析し、理解しようとしているんだ

 

出典:GDOニュース

 

 

 

 

 

     youtube/ブリヂストンスポーツ

ブライソン・デシャンボーがパフォーマンスを生み出すのは健康的な食事とトレーニング

 

 

モー・ノーマンを彷彿とさせるハンドアップな構え、シンプルなスイングで飛距離では現在一位の飛ばし屋ブライソン・デシャンボー。すべてのアイアンの長さを統一するといった独自の理論を展開し、肉体改造によってツアー屈指の飛ばし屋に変貌を遂げた。ヘッドスピードは57を超え、ボール初速は90キロ超。飛距離も380ヤードをマークするなど、尋常ではない数値を叩き出している。

 

「ゴルフの科学者」と自称するデシャンボーは、カリフォルニア州 クローヴィス出身の28歳。2010年にカルフォルニア州のジュニア選手権を制して頭角を現した。南メソジスト大に進み、15年には「全米アマチュア選手権」と「NCAA全米学生選手権」を制した。16年「マスターズ」を21位で終えた翌週にプロに転向。

 

2017年、ジョンディア・クラシックでツアー初優勝。2020年、全米オープンでメジャー初優勝。ウイングドフットゴルフクラブ・ウエストコース で開催された同大会における最小スコアで2位のマシュー・ウルフに6打差をつけて勝利し、自身の肉体改造等の理論の正しさを証明した。

 

努力する天才に苦難はつきもので、PGAツアー、LPGAツアーが2022年1月より、「パターを除くクラブの長さを46インチ以内に規制」を採用した。46インチ以上のドライバーの使い手には、痛いルール変更になるのか? これまでもデシャンボーはルールの解釈を巡り、何度もUSGAとぶつかってきた。
スロープレーがプロゴルファー仲間からも批判されたことが取り沙汰された事もある。デシャンボーはこれらの課題を、どんなゴルフ科学で乗り切っていくのか? そして更なる変貌を遂げ、どのように円熟していくのか? ディシャンボーの挑戦を見守ってみよう。

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,26 フィル・ミケルソン

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第26回は、

 

希望をありがとう!
50歳で全米プロ優勝を果たした“ビッグ レフティー”

 

フィル・ミケルソン

 

 

出身:アメリカ合衆国 カリフォルニア州 サンディエゴ
生年月日:1970年6月16日

 

 

 

「50って単なる数字でしかないから、何も変わらない。

 

僕の前にはまだまだたくさんの時間があるし、

 

まだまだたくさんのことができる」

出典:ALBA.Netのゴルフニュース

 

 

画像:Wikipedia

 

 

2020年、50歳を迎えるミケルソン選手が語った言葉です。50は単なる数字でしかないことを証明するかのように今年5月、最年長記録で全米プロ優勝を果たしました。これには勇気や希望をもらった人も多いのではないでしょうか。

 

ミケルソン選手は、生後18カ月でボールを打ち始めます。日常では右利きですが、海軍パイロットだった父親のスイングを鏡に映すように真似て覚えたため、ゴルフに限ってはレフティになったとか。アリゾナ州立大時代の1990年に「全米アマチュア選手権」を制し、翌91年には米ツアー「ノーザンテレコム」でアマ優勝。大学卒業後の92年にプロ転向し、翌年93年には「ビュイック招待」でプロ初勝利を果たします。

 

しかし、20代で何度もタイトル獲得のチャンスを逃し“無冠の帝王”とも呼ばれたことも。2004年ようやくマスターズで勝利し、汚名を返上します。05年「全米プロ」で完全優勝、タイガー・ウッズと人気を二分する世界のビッグレフティと呼ばれ、2012年にゴルフ殿堂入りとなりました。

 

シャフトのしなりを生かした効率的なスイングで、50歳を超えた今も300ヤードを飛ばせるのは驚異的。ドライバーからウエッジまで同じリズムで振れるそのスイングは、研究のし甲斐がありそうです。
スーパースターのこれからの活躍も応援しつつ、期待が高まります。

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,25 稲見萌寧

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第25回は、

 

“日本ゴルフ界 初メダル”
2020東京オリンピック銀メダルおめでとう!

 

稲見 萌寧 Mone Inami

 

 

出身:東京都
生年月日:1999年7月29日

 

 

 

「メダルより、楽しみながら回りたい。」

 

 

 

2021年の国内ツアーで圧倒的な成績を残す若手の成長株が快進撃を続けている。家族の勧めで9歳の時にゴルフを始めた稲見 萌寧。「初めてクラブを握った時から空振りを一切せず、いいスイングで打てていた」と本人が振り返っている。小学校5年生から千葉県の北谷津ゴルフガーデンに通い、周囲から「練習の虫」と呼ばれるほど、圧倒的な練習量で、自他ともに認める「完璧主義」。優勝した大会の翌日でも練習を欠かすことはなく、気がすむまで練習に打ち込み、1日10時間に及ぶこともあるという。

 

 

「完璧主義者なので全部向上させたい。負けたくない気持ちが強い。」

 

 

負けず嫌いで努力家の性格も、強さを支える精神力につながっている。正確なアイアンショットが持ち味で、確実にチャンスにつける武器として精度を上げてきた。2019年のパーオン率は78.2079%で、国内女子ツアー歴代最高を記録している。

 

 

2021年は課題だったパターのフォームを改善し、ウエイトトレーニングやキックボクシングなどで体幹を鍛えながら1日4食の食事で体を作ってきた。こうした練習と努力もあって国内ツアーでは、6月末時点で5勝、さらには、日本人初のオリンピック銀メダル獲得と快進撃は止まらない。

 

 

オリンピック開幕前から「メダルより、自分の順位やスコアを1つでも上げたい」
「楽しく回りたい」
と一貫して口にしてきた。技術も精神力も鍛え抜かれた成果が銀色に光って現れた。次なる目標は、国内ツアーで通算30勝をあげた選手に与えられる永久シード権の獲得だ。常に高みを目指す稲見 萌寧からしばらく目が離せない。

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,24 戸田藤一郎

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第24回は、

 

鬼才!日本最強のプロゴルファー。

 

戸田藤一郎

 

 

出身:兵庫県・神戸市
生年月日:1914年11月22日
没年月日:1984年7月11日(69歳)

 

 

 

半端なゴルファーほど自分のスウィングについて

 

語りたがる。

 

 

昭和8年、当時18歳で第一人者の宮本留吉を1打差で下し、関西オープンで優勝する快挙を打ち立て、昭和14年(1939年)には、24歳で日本オープン、日本プロ、関西オープン、関西プロに勝ち、当時の年間グランドスラムを達成している。日本男子プロゴルフ界に、初めての年間グランドスラマーが誕生瞬間である。(日本で2人目の年間グランドスラマーとなったのは、1975年の村上隆)

 

戸田は、海外でも足跡を残しており、1936年のハリウッドオープンでは2位と健闘した。同年には台湾出身の陳清水とともに日本選手マスターズ初出場を果たし、29位に入っている。
後に戸田の代名詞となる「パンチショット」は、この遠征中にハリー・クーパーにアドバイスをもらったことをきっかけとする。
アメリカ人選手にも引けを取らない戸田のドライバーショットは、300ヤードのロングドライブ。一緒にラウンドしたボビー・ジョーンズを驚かせたという。サム・スニード、ジーン・サラゼンなど、名高い選手からの評価も高かった。

 

そんな活躍の中で、私生活の堕落と倶楽部メンバーのクラブを勝手に売り払ったことから、1948年にゴルフ界を追放される。10年以上と永く出場停止と不遇の時代があったが、1959年にプロ復帰を許されると、パンチショットを駆使して年齢を重ねてからも輝きを放ち、1963年には48歳の最年長で日本オープンに優勝。1971年には56歳にして関西プロを制している。

 

2012年、第1回日本プロゴルフ殿堂入り。

 

 

戸田藤一郎の破天荒な勝負師人生を知る1冊

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    本当は小心者だった。だから女に溺れ大酒を飲んだ。でも人に隠れて、猛練習をした。心を読まれないように黒いシャツ、黒いズボン、黒い眼鏡で試合にのぞんだ。武器は、「右手はアクセルや。右手のスピードで飛ばすのや」300ヤードのロングドライブと、風を切り裂いてピンに絡むパンチショット。十八歳で初優勝、二十四歳でグランドスラムを達成し、戦争の十年をはさんでまた優勝、戸田藤一郎の破天荒な勝負師人生。解説・陳 清波。

    (出典:Amazon

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  • 出版社 ‏ : ‎ 
    小学館 (1999/9/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1999/9/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 299ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4094170510
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4094170511

 

 

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,23 モー・ノーマン

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第23回は、

 

世界一のボールストライカー。

 

★モー・ノーマン

 

出身:カナダ/オンタリオ州・キッチナー
生年月日:1929年7月10日
没年月日:2004年9月4日(75歳)

 

 

 

私は世界のゴルファーではありません。

 

ただただ生きている偉大さを感じなければなりません。

 

純粋に、いつも真っ直ぐに。

 

とてもシンプルな方法です。

 

ボールはまっすぐ飛んでいきます。

 

(動画ないから抜粋)

 

 

 

 

 

 

ノーマンのゴルフは、レッスンを受けたことはなく、独学だったといいます。
ボールストライカーとしてのノーマンのスキルは伝説的です。サム・スニードはノーマンを最大のストライカーだと称しました。

 

有名なエピソードは、1969年にカナダのトロント郊外で行われたエキジビション。
モー・ノーマンとサム・スニードが共にラウンドした時のこと。240ヤード先に川が横切っているパー4のホールで、サム・スニードは川の前で刻んだのに対して、ノーマンは川の真ん中にある橋を狙ってティーショットを打ちました。迷いなきその一打は、ドライバーから放たれた後、狙い通りに橋を渡って向こう岸に転がって行ったということです。

 

あるエキジビションでは、7時間に渡り1540球のドライバーを打ち続け、一番飛ばなかったボールは225ヤードで、全てのボールが30ヤードの幅におさまっていたとか。また、ティーアップされたボールだけをクリーンヒットし、1本のティーを動かすことなくそのまま使ってドライバーショットを131回続けこともあったそう。1971年以来OBもなし!まさに正確なマシーンのよう。

 

天才的なそのプレーは、多くのゴルファーに刺激と影響を与えたようです。ケン・ベンチュリはパイプラインのように正確にボールを運ぶモー・ノーマンを「パイプライン・モー」というニックネームを贈り、トム・ワトソンは「だれが一番いいボールを打てるか。カナダのモー・ノーマンだ。」と言っています。

 

ノーマンのプレーは、彼の服装にも表れている通り型破りではありました。クラブはバットを握るように鷲掴みにし、アドレスもインパクトでも腕とクラブが一直線になるよう平行移動。ダウンスイングで体を目的方向にスライドさせ、振り抜くと同時に腰が飛球方向に スーと押し出されます。ノーマンがインタビューに答えたその秘訣を “vertical drop, horizontal tug” (垂直に落とす、水平に引く)と答えています。
誰もがこのシンプルな打法で、まっすぐ飛べば苦労はありませんが、ゴルフが大好きで、生かされていることの偉大さを知ってるノーマン自身の純粋さが、天才たる由縁。ゴルフ以外興味なし、一心不乱にボールを打ち続ける姿は、多くのゴルフファンを魅了しました。

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,22 ジョージ・ダンカン

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第22回は、

 

構えて数秒!早打ちの名手。

 

★ジョージ・ダンカン

 

出身:スコットランド/メスリック
生年月日:1883年9月16日
没年月日:1964年1月15日(80歳)

 

 

 

パットのラインを読み取るには、常に第一感が正しい
これを修正すると、たいていはラインをはずれるものだ。

 

(出典元:ゴルフ名言格言集)

 


画像:wikipedia
 

 

ジョージ・ダンカンはスコットランド出身のプロゴルファー。ゴルファー一家に生まれたことでも知られています。ダンカン自身も運動神経は抜群で、プロサッカー選手を断ってプロゴルファーになったと言います。ゴルフコースのデザイナーでもあった彼は、専門的な教育とスイング分析スキルにより「プロ中のプロ」と呼ばれるようになりました。

 

ジョージ・ダンカンは、早打ちで有名で、ボールのところへ行くとすぐに打つ! パットも素振りもせずに打つ! というのが常だったようで「早打ちダンカン」と呼ばれていました。現在推奨されているファストプレーの先駆者とも言えるでしょう。

 

彼の早打ちには理由があったようです。「あまり考えすぎずにプレーしたほうがいい結果が出る。」「遅いプレーは同伴者に迷惑をかける」「速いプレーはミスを早く忘れさせてくれる」など。
プレーに時間をかけても迷うばかり、自分が決めたラインに不安が募り、ラインを変えてしまい、迷えば、ストロークにも悪影響が出る。結局、カップインできない確率が上がるということを示しています。つまり、ゴルフではファーストインプレッションが大事ということです。また、ダンカンは「早くミスせよ!」という逆説的な言葉も残しています。早くミスした方が、より早く軌道修正することが可能になるからでしょうか。せっかちだったかはわかりませんが、スコットランドでは当時からファストプレーに重きを置いていたことも伺えます。

 

1920年の全英オープンは大逆転での優勝、1922年の全英オープンはウォルター・ヘーゲンに1打差で敗れて2位タイ。この年は全米オープンに出場し6位になっている。プロとして22勝の成績を残しました。

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,21 中村 寅吉

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第21回は、

 

日本人初のマスターズ・トーナメント出場「トラさん」。

 

★中村 寅吉

 

出身:神奈川県横浜市
生年月日:1915年9月17日
没年月日:2008年2月11日(92歳)

 

 

 

 

カンとは、頭の働きではなく、普段の練習の結果、生まれるもの。

 

(出典元:地球の名言

 


画像:Rakuten
 

日本図書センター

発売日: 1999年2月1日 ISBN: 9784820543428

著者名: 中村寅吉出版社: 日本図書センタ-

 

 

貧しい農家で五人兄弟の次男として生まれた中村寅吉は、高等小学校卒業後の1930年、家の近くにあった程ヶ谷カントリー倶楽部に臨時キャディとして入社。キャディーを続けているうちに自分でもゴルフを始めたくなったもの、当時のゴルフ用品は高価で手に入れるのは困難であったために、木の枝を切り削ってゴルフクラブの代用品を作ったという逸話がある。

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14歳からゴルフを始め、1934年にプロテストに合格すると、1935年に21歳でプロデビュー。1938年には日本オープンに出場し、見事3位に入賞して初めて賞金を獲得する。

林由郎、小野光一らと共に戦後の日本ゴルフ界を支えた名選手の一人であり、1935年にプロデビュー、1950年に日本オープンゴルフ選手権で初優勝。1957年に日本で開催されたカナダ・カップに小野光一と共に日本代表として出場し、団体戦、個人戦の両方で優勝を飾る。

 

日本人初のマスターズ・トーナメント出場、シニアプロ初のエージシュート記録を樹立など、復興期の日本ゴルフ界を大いに盛り上げた。日本女子プロゴルフ協会初代会長などを歴任。女子ツアーの発展にも大きく寄与。2012年に日本プロゴルフ殿堂入り。

1981年には65歳で出場した関東プロシニア初日に「65」で回り、エージシュートを達成。1イーグル、7バーディー、2ボギーの65で、プロゴルフ界初の快挙も達成している。

 

 

出典
Wikipedia

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