ゴルファー必見。 お役立ち情報!

Category: 世界の名プレイヤー【今月のお言葉】


世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,26 フィル・ミケルソン

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第26回は、

 

希望をありがとう!
50歳で全米プロ優勝を果たした“ビッグ レフティー”

 

フィル・ミケルソン

 

 

出身:アメリカ合衆国 カリフォルニア州 サンディエゴ
生年月日:1970年6月16日

 

 

 

「50って単なる数字でしかないから、何も変わらない。

 

僕の前にはまだまだたくさんの時間があるし、

 

まだまだたくさんのことができる」

出典:ALBA.Netのゴルフニュース

 

 

画像:Wikipedia

 

 

2020年、50歳を迎えるミケルソン選手が語った言葉です。50は単なる数字でしかないことを証明するかのように今年5月、最年長記録で全米プロ優勝を果たしました。これには勇気や希望をもらった人も多いのではないでしょうか。

 

ミケルソン選手は、生後18カ月でボールを打ち始めます。日常では右利きですが、海軍パイロットだった父親のスイングを鏡に映すように真似て覚えたため、ゴルフに限ってはレフティになったとか。アリゾナ州立大時代の1990年に「全米アマチュア選手権」を制し、翌91年には米ツアー「ノーザンテレコム」でアマ優勝。大学卒業後の92年にプロ転向し、翌年93年には「ビュイック招待」でプロ初勝利を果たします。

 

しかし、20代で何度もタイトル獲得のチャンスを逃し“無冠の帝王”とも呼ばれたことも。2004年ようやくマスターズで勝利し、汚名を返上します。05年「全米プロ」で完全優勝、タイガー・ウッズと人気を二分する世界のビッグレフティと呼ばれ、2012年にゴルフ殿堂入りとなりました。

 

シャフトのしなりを生かした効率的なスイングで、50歳を超えた今も300ヤードを飛ばせるのは驚異的。ドライバーからウエッジまで同じリズムで振れるそのスイングは、研究のし甲斐がありそうです。
スーパースターのこれからの活躍も応援しつつ、期待が高まります。

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,25 稲見萌寧

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第25回は、

 

“日本ゴルフ界 初メダル”
2020東京オリンピック銀メダルおめでとう!

 

稲見 萌寧 Mone Inami

 

 

出身:東京都
生年月日:1999年7月29日

 

 

 

「メダルより、楽しみながら回りたい。」

 

 

 

2021年の国内ツアーで圧倒的な成績を残す若手の成長株が快進撃を続けている。家族の勧めで9歳の時にゴルフを始めた稲見 萌寧。「初めてクラブを握った時から空振りを一切せず、いいスイングで打てていた」と本人が振り返っている。小学校5年生から千葉県の北谷津ゴルフガーデンに通い、周囲から「練習の虫」と呼ばれるほど、圧倒的な練習量で、自他ともに認める「完璧主義」。優勝した大会の翌日でも練習を欠かすことはなく、気がすむまで練習に打ち込み、1日10時間に及ぶこともあるという。

 

 

「完璧主義者なので全部向上させたい。負けたくない気持ちが強い。」

 

 

負けず嫌いで努力家の性格も、強さを支える精神力につながっている。正確なアイアンショットが持ち味で、確実にチャンスにつける武器として精度を上げてきた。2019年のパーオン率は78.2079%で、国内女子ツアー歴代最高を記録している。

 

 

2021年は課題だったパターのフォームを改善し、ウエイトトレーニングやキックボクシングなどで体幹を鍛えながら1日4食の食事で体を作ってきた。こうした練習と努力もあって国内ツアーでは、6月末時点で5勝、さらには、日本人初のオリンピック銀メダル獲得と快進撃は止まらない。

 

 

オリンピック開幕前から「メダルより、自分の順位やスコアを1つでも上げたい」
「楽しく回りたい」
と一貫して口にしてきた。技術も精神力も鍛え抜かれた成果が銀色に光って現れた。次なる目標は、国内ツアーで通算30勝をあげた選手に与えられる永久シード権の獲得だ。常に高みを目指す稲見 萌寧からしばらく目が離せない。

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,24 戸田藤一郎

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第24回は、

 

鬼才!日本最強のプロゴルファー。

 

戸田藤一郎

 

 

出身:兵庫県・神戸市
生年月日:1914年11月22日
没年月日:1984年7月11日(69歳)

 

 

 

半端なゴルファーほど自分のスウィングについて

 

語りたがる。

 

 

昭和8年、当時18歳で第一人者の宮本留吉を1打差で下し、関西オープンで優勝する快挙を打ち立て、昭和14年(1939年)には、24歳で日本オープン、日本プロ、関西オープン、関西プロに勝ち、当時の年間グランドスラムを達成している。日本男子プロゴルフ界に、初めての年間グランドスラマーが誕生瞬間である。(日本で2人目の年間グランドスラマーとなったのは、1975年の村上隆)

 

戸田は、海外でも足跡を残しており、1936年のハリウッドオープンでは2位と健闘した。同年には台湾出身の陳清水とともに日本選手マスターズ初出場を果たし、29位に入っている。
後に戸田の代名詞となる「パンチショット」は、この遠征中にハリー・クーパーにアドバイスをもらったことをきっかけとする。
アメリカ人選手にも引けを取らない戸田のドライバーショットは、300ヤードのロングドライブ。一緒にラウンドしたボビー・ジョーンズを驚かせたという。サム・スニード、ジーン・サラゼンなど、名高い選手からの評価も高かった。

 

そんな活躍の中で、私生活の堕落と倶楽部メンバーのクラブを勝手に売り払ったことから、1948年にゴルフ界を追放される。10年以上と永く出場停止と不遇の時代があったが、1959年にプロ復帰を許されると、パンチショットを駆使して年齢を重ねてからも輝きを放ち、1963年には48歳の最年長で日本オープンに優勝。1971年には56歳にして関西プロを制している。

 

2012年、第1回日本プロゴルフ殿堂入り。

 

 

戸田藤一郎の破天荒な勝負師人生を知る1冊

  •  
  •  

    本当は小心者だった。だから女に溺れ大酒を飲んだ。でも人に隠れて、猛練習をした。心を読まれないように黒いシャツ、黒いズボン、黒い眼鏡で試合にのぞんだ。武器は、「右手はアクセルや。右手のスピードで飛ばすのや」300ヤードのロングドライブと、風を切り裂いてピンに絡むパンチショット。十八歳で初優勝、二十四歳でグランドスラムを達成し、戦争の十年をはさんでまた優勝、戸田藤一郎の破天荒な勝負師人生。解説・陳 清波。

    (出典:Amazon

  •  

  • 出版社 ‏ : ‎ 
    小学館 (1999/9/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1999/9/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 299ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4094170510
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4094170511

 

 

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,23 モー・ノーマン

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第23回は、

 

世界一のボールストライカー。

 

★モー・ノーマン

 

出身:カナダ/オンタリオ州・キッチナー
生年月日:1929年7月10日
没年月日:2004年9月4日(75歳)

 

 

 

私は世界のゴルファーではありません。

 

ただただ生きている偉大さを感じなければなりません。

 

純粋に、いつも真っ直ぐに。

 

とてもシンプルな方法です。

 

ボールはまっすぐ飛んでいきます。

 

(動画ないから抜粋)

 

 

 

 

 

 

ノーマンのゴルフは、レッスンを受けたことはなく、独学だったといいます。
ボールストライカーとしてのノーマンのスキルは伝説的です。サム・スニードはノーマンを最大のストライカーだと称しました。

 

有名なエピソードは、1969年にカナダのトロント郊外で行われたエキジビション。
モー・ノーマンとサム・スニードが共にラウンドした時のこと。240ヤード先に川が横切っているパー4のホールで、サム・スニードは川の前で刻んだのに対して、ノーマンは川の真ん中にある橋を狙ってティーショットを打ちました。迷いなきその一打は、ドライバーから放たれた後、狙い通りに橋を渡って向こう岸に転がって行ったということです。

 

あるエキジビションでは、7時間に渡り1540球のドライバーを打ち続け、一番飛ばなかったボールは225ヤードで、全てのボールが30ヤードの幅におさまっていたとか。また、ティーアップされたボールだけをクリーンヒットし、1本のティーを動かすことなくそのまま使ってドライバーショットを131回続けこともあったそう。1971年以来OBもなし!まさに正確なマシーンのよう。

 

天才的なそのプレーは、多くのゴルファーに刺激と影響を与えたようです。ケン・ベンチュリはパイプラインのように正確にボールを運ぶモー・ノーマンを「パイプライン・モー」というニックネームを贈り、トム・ワトソンは「だれが一番いいボールを打てるか。カナダのモー・ノーマンだ。」と言っています。

 

ノーマンのプレーは、彼の服装にも表れている通り型破りではありました。クラブはバットを握るように鷲掴みにし、アドレスもインパクトでも腕とクラブが一直線になるよう平行移動。ダウンスイングで体を目的方向にスライドさせ、振り抜くと同時に腰が飛球方向に スーと押し出されます。ノーマンがインタビューに答えたその秘訣を “vertical drop, horizontal tug” (垂直に落とす、水平に引く)と答えています。
誰もがこのシンプルな打法で、まっすぐ飛べば苦労はありませんが、ゴルフが大好きで、生かされていることの偉大さを知ってるノーマン自身の純粋さが、天才たる由縁。ゴルフ以外興味なし、一心不乱にボールを打ち続ける姿は、多くのゴルフファンを魅了しました。

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,22 ジョージ・ダンカン

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第22回は、

 

構えて数秒!早打ちの名手。

 

★ジョージ・ダンカン

 

出身:スコットランド/メスリック
生年月日:1883年9月16日
没年月日:1964年1月15日(80歳)

 

 

 

パットのラインを読み取るには、常に第一感が正しい
これを修正すると、たいていはラインをはずれるものだ。

 

(出典元:ゴルフ名言格言集)

 


画像:wikipedia
 

 

ジョージ・ダンカンはスコットランド出身のプロゴルファー。ゴルファー一家に生まれたことでも知られています。ダンカン自身も運動神経は抜群で、プロサッカー選手を断ってプロゴルファーになったと言います。ゴルフコースのデザイナーでもあった彼は、専門的な教育とスイング分析スキルにより「プロ中のプロ」と呼ばれるようになりました。

 

ジョージ・ダンカンは、早打ちで有名で、ボールのところへ行くとすぐに打つ! パットも素振りもせずに打つ! というのが常だったようで「早打ちダンカン」と呼ばれていました。現在推奨されているファストプレーの先駆者とも言えるでしょう。

 

彼の早打ちには理由があったようです。「あまり考えすぎずにプレーしたほうがいい結果が出る。」「遅いプレーは同伴者に迷惑をかける」「速いプレーはミスを早く忘れさせてくれる」など。
プレーに時間をかけても迷うばかり、自分が決めたラインに不安が募り、ラインを変えてしまい、迷えば、ストロークにも悪影響が出る。結局、カップインできない確率が上がるということを示しています。つまり、ゴルフではファーストインプレッションが大事ということです。また、ダンカンは「早くミスせよ!」という逆説的な言葉も残しています。早くミスした方が、より早く軌道修正することが可能になるからでしょうか。せっかちだったかはわかりませんが、スコットランドでは当時からファストプレーに重きを置いていたことも伺えます。

 

1920年の全英オープンは大逆転での優勝、1922年の全英オープンはウォルター・ヘーゲンに1打差で敗れて2位タイ。この年は全米オープンに出場し6位になっている。プロとして22勝の成績を残しました。

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,21 中村 寅吉

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第21回は、

 

日本人初のマスターズ・トーナメント出場「トラさん」。

 

★中村 寅吉

 

出身:神奈川県横浜市
生年月日:1915年9月17日
没年月日:2008年2月11日(92歳)

 

 

 

 

カンとは、頭の働きではなく、普段の練習の結果、生まれるもの。

 

(出典元:地球の名言

 


画像:Rakuten
 

日本図書センター

発売日: 1999年2月1日 ISBN: 9784820543428

著者名: 中村寅吉出版社: 日本図書センタ-

 

 

貧しい農家で五人兄弟の次男として生まれた中村寅吉は、高等小学校卒業後の1930年、家の近くにあった程ヶ谷カントリー倶楽部に臨時キャディとして入社。キャディーを続けているうちに自分でもゴルフを始めたくなったもの、当時のゴルフ用品は高価で手に入れるのは困難であったために、木の枝を切り削ってゴルフクラブの代用品を作ったという逸話がある。

  •  

14歳からゴルフを始め、1934年にプロテストに合格すると、1935年に21歳でプロデビュー。1938年には日本オープンに出場し、見事3位に入賞して初めて賞金を獲得する。

林由郎、小野光一らと共に戦後の日本ゴルフ界を支えた名選手の一人であり、1935年にプロデビュー、1950年に日本オープンゴルフ選手権で初優勝。1957年に日本で開催されたカナダ・カップに小野光一と共に日本代表として出場し、団体戦、個人戦の両方で優勝を飾る。

 

日本人初のマスターズ・トーナメント出場、シニアプロ初のエージシュート記録を樹立など、復興期の日本ゴルフ界を大いに盛り上げた。日本女子プロゴルフ協会初代会長などを歴任。女子ツアーの発展にも大きく寄与。2012年に日本プロゴルフ殿堂入り。

1981年には65歳で出場した関東プロシニア初日に「65」で回り、エージシュートを達成。1イーグル、7バーディー、2ボギーの65で、プロゴルフ界初の快挙も達成している。

 

 

出典
Wikipedia

  •  

     

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,20 宮里藍

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第20回は、

 

史上初の女子高生プロゴルファーとして注目を集めた「藍ちゃん」。

 

★宮里 藍

 

出身:沖縄県国東郡東村
生年月日:1985年6月19日(35歳)

 

 

 

 

「人間って楽なほうに行こうとするんですが、

 

『ここで負けても次があるや』って思ってたら、もうそれで終わり」

 

★★★

 

急激な成長は望んでいません。近道はないのです。

 

コツコツと、ひとつひとつ丁寧に。

 

しっかり自分と向き合う事で確かな物を自分の中で

 

積み重ねていけれるように、楽しみます!!」

 

(出典元:MITOV

 

 

 

 

Amazon

  • 出版社 : 二見書房 (2004/11/26)
  • 発売日 : 2004/11/26
  • 単行本 : 134ページ
  • ISBN-10 : 4576041908
  • ISBN-13 : 978-4576041902

 

 

兄の宮里聖志、宮里優作も共にプロゴルファー。兄達のゴルフについていくうちに、4歳でゴルフを始めた。小学1年にコースデビュー。その2年後には初のホールインワンを経験したと言う。
2000年、まだあどけなさが残る中学3年生だった宮里藍は、サントリーレディスオープンで歴戦のプロたちに混じって見 事なプレーを見せ、トータル1オーバーの23位タイでフィニッシュ。14歳11ヶ月でのプロツアー予選通過は当時における史上最年少記録であり、その偉業に日本中の注目を集めた。

 

中学卒業すると兄優作を追う形で沖縄を出て、同じ仙台市にある東北高校に進学。2003年高校3年時、日本女子アマチュアゴルフ選手権競技で優勝。同年「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント」で優勝。10月9日にプロ宣言をして、史上初の高校生プロゴルファーとなった。

 

プロ入り翌年に年間獲得賞金額が1億円を突破し、不動裕理以来史上2人目の快挙を達成。横峯さくらとともに女子プロゴルフ界のニューヒロインとして大きな注目となり、ゴルフ人気の復活にも大きな貢献を果たした。

 

2006年度からは、アメリカツアーに活動の中心を置き、同年に世界ランキング6位にランクイン。2009年にエビアン・マスターズでLPGAツアー初優勝を果たし、アメリカ女子賞金ランキング3位を獲得。2010年には日本人初となる世界ランキング1位に輝いている。

宮里藍公式HPは→こちら

 

出典
Wikipedia

  •  

     

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,19 杉原 輝雄

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第19回は、

 

50年に渡って現役を続行してきた日本プロゴルフ界のドン

 

★杉原 輝雄

 

出身:大阪府茨城市
生年月日:1937年6月14日
没年月日:2011年12月28日(74歳)

 

 

 

 

苦しい時の我慢は普通の我慢。

 

本当の我慢はここがチャンスだという時に、

 

心を逸(はや)らせない我慢である。

 

(出典元:偉人たちの名言集)

 

  • Amazon
    出版社 : 
    コスモトゥーワン (2012/7/5)
  • 発売日 : 2012/7/5
  • 言語 : 日本語
  • 単行本 : 223ページ
  • ISBN-10 : 4877952365
  • ISBN-13 : 978-4877952365

 

 

 

小学校5年のころ自宅近くの茨木CCでキャディのアルバイトを始め、中学卒業後は高校の定時制に通いながら同CCの洗濯係として働いた。18歳で研修生となり本格的にプロを目指し始める。1957年、20歳でプロテスト合格。1962年の日本オープン選手権を皮切りに、2008年までに通算63勝(うち海外1勝、シニアツアー8勝)をあげる。

 

 

レギュラーツアーにおいて賞金王(賞金ランキング1位)を獲得したことはないが、優勝回数は国内男子プロとしては尾崎将司、青木功に次ぐ歴代3位。1989年にツアー施行後に25勝したことで永久シード権を獲得する。2001年の静岡オープン以来レギュラーツアーの予選通過はなかったが、2006年のつるやオープンゴルフトーナメントにて58試合ぶりに予選を通過した。68歳10ヶ月での予選通過は日本ツアー最年長記録であると同時に、アメリカツアーのサム・スニードが達成した67歳2ヶ月をも上回る大記録を打ち立てた。2010年の『中日クラウンズ』では同一大会51回連続出場を達成。アーノルド・パーマーが『マスターズ』で記録していた50回連続を塗り替える世界新記録となった。

小柄だった杉原は、体格のハンディを克服する工夫をこらしていた。ドライバーのシャフトを徐々に長くして47インチドライバーにも取り組んだ、長尺ドライバーの先駆者でもある。
練習量の多さはゴルフ界では有名であり、“マムシ”の異名通り決してあきらめないゴルフで勝利を重ねていく。

 

 

51回連続出場を達成した翌年2011年の『中日クラウンズ』へは体調不良の為参加を見送ると発表。2011年12月28日前立腺癌のため死去。闘病14年、最後の最後まで現役を貫いた不屈の名選手である。

 

 

参考サイト
Wikipedia
日本ゴルフツアー機構

  •  

     

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,18 松山英樹

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第18回は、

 

米ツアーの公式SNSは彼を「BEAST(ビースト)」野獣と呼んだ。

 

★松山 英樹

 

出身:愛媛県松山市出身
生年月日:1992年2月25日

 


 

 

僕は誰かにこれがベストの方法だよと言ってもらうよりも、

 

自分で何かを見つけることを、思いのままに捜し求めて

 

違うことを試し、何が自分に最もあっているかを見出すことを

 

いつも楽しんできました。

 

(出典元:あなたの毎日のモチベーションを高くする。

 

 

Amazon 
松山英樹 プロツアー史上最速優勝への軌跡 ~20thつるやオープンゴルフトーナメント~ 歴史を変えた4連続バーディー [DVD]

 

 

 

4歳のときに、日本アマ出場経験もある父親の影響でゴルフを始める。中学2年生の時にゴルフ部のある明徳義塾に転校した。同高校時代に『日本ジュニア』などで優勝。日本ゴルフ協会(JGA)のナショナルチームにも選ばれるなど頭角を現す。

 

東北福祉大学に進学した松山は、アジアアマチュア選手権で日本人として初の優勝を遂げ、翌年のマスターズ出場権を獲得。翌週の日本オープンでも並み居るプロゴルファーを従え3位に入りローアマチュアを獲得した。。同年の『三井住友VISA太平洋マスターズ』では、倉本昌弘、石川遼に次ぐ史上3人目(73年以降)のアマチュア優勝を成し遂げている。
2012年には、R&Aによって創設された世界アマチュアゴルフランキングで日本人初の1位を獲得している。

 

大学のゴルフ部の主将は引き続き務めながら、2013年プロに転向。プロ転向後の成績は目覚しく。13年には4勝を挙げて史上初のルーキー賞金王に。14年からは米国ツアーに参戦。同年の『メモリアルトーナメント』で初優勝を飾った。

 

2016年2月に米2勝目を挙げると国内では『日本オープン』など2戦2勝。10月には『HSBCチャンピオンズ』で日本選手初のWGC制覇と丸山茂樹に並ぶ日本選手最多の米3勝目を同時に達成するなど、この年は、松山にとって正しく飛躍した1年となった。

 

2017年2月にはPGAツアー4勝目を挙げ、6月には全米オープンで2位タイに入った。同年11月5日、来日中のトランプ大統領(当時)と安倍元首相の霞ヶ関カンツリー倶楽部でのゴルフに同伴してプレーしたことは、記憶に新しい。

 

 

参考サイト:
Wikipedia
日本ゴルフツアー機構

  •  

     

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,17 サム・スニード

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第17回は、

 

「世界で最も華麗なスイング」と評された

 

サム・スニード

 

 

立ち直る能力こそ、偉大なプレイヤーのしるしだ。

 

偉大なチャンピオンはみな、挫折から立ち直っている。

 

 

 

(出典:言霊チャンネル)

 

 

 

 

Sam Snead サム・スニード

出身:アメリカ合衆国 バージニア州アシュウッド
生年月日:1912年5月27日  
没年月日:2002年5月23日(89歳没)

 

 

1940年 サム・スニード28歳の時のスイング

    •  


YouTube/Golfing Strokes With Sam Snead (1940)

 

 

サム・スニードは、アメリカ合衆国・バージニア州アシュウッド出身のプロゴルファー。1934年にプロ入りすると、その2年後には初優勝を挙げ、50年以上にわたりゴルフ界の第一線で活躍しました。
世界で最も華麗なスイングと評され、流れるようなその美しいスイングは“ ワンピーススイング”と名付けられるほど。この時代の道具で300ヤードを飛ばし、46年間優勝し続けた選手は他にいません。

 

同じ1912年生まれのベン・ホーガン、バイロン・ネルソンと並ぶ偉大なゴルファーであり、年間最多勝利は1950年の11勝で、この記録は今も破られていません。

 

PGAツアー通算82勝(2019年10月日本で初開催されたUSPGAツアーで、タイガーウッズ が優勝し、トップタイに並ぶ)、メジャー大会ではマスターズ3勝・全英オープン1勝・全米プロゴルフ3勝を挙げ、通算7勝を獲得しましたが、全米オープンだけは4度の2位で止まり、「キャリア・グランドスラム」は達成できませんでした。

 

しかし、ツアーのあらゆるタイトルを総なめにしたその偉業から「スラマー」と呼ばれ、1974年の世界ゴルフ殿堂創設時には、直ちに殿堂入りを果たします。シニアツアーでも長い競技経歴を築いた彼は、最晩年まで元気な姿を見せ、2002年のマスターズでも始球式を務めました。90歳まであと4日というところで脳卒中でなくなりましたが、今もなお、彼のスイングに魅せられるゴルファーは多数。長きに渡りゴルフファンに愛され続けています。