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Category: 世界の名プレイヤー【今月のお言葉】


世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,35 ジョン・ラーム

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第35回は、

 

2021年全米オープンでメジャー初優勝。

スペイン人として初の快挙を成し遂げた“ランボー”


★ジョン・ラーム

 

 

出身:スペイン・バスク州ビスカヤ県
生年月日:1994年11月10日 (27歳)

 

 

 

昔の自分なら、もし怒りを感じてもそれを沈めるための

 

言い訳をいつも用意していた。

 

でも今は、息子にとって模範の人間なんだ。

 

 

出典:ゴルフ・グローバル

 

 

 

画像引用:Wikimedia

 

 

 

1994年にスペインのバスク州ビスカヤ県に生まれたジョン・ラームは、大学進学を機に渡米。
フィル・ミケルソンやポール・ケーシーなどの卒業生がいるアメリカのアリゾナ州立大学に進学し、在学中にカレッジゴルフで通算11勝を挙げます。

 

2015年と2016年にはカレッジゴルフ界最高の賞であるベン・ホーガン賞を2年連続で受賞していますが、同賞で2年連続受賞しれいるのは、ジョン・ラームのみ。そしてその間、世界アマチュアランク1位にも輝いています。

 

2016年にプロ転向後、翌年「ファーマーズ・インシュランス・オープン」で、米国男子ツアー初優勝。活躍の場は米国にとどまらず、2019年には欧州ツアーで年間3勝を挙げ、初の年間王者に。

 

2020年「ザ・メモリアルトーナメント」で4シーズン連続優勝を達成すると、憧れのセベ・バレステロス以来スペイン勢2人目となる世界ランキング1位に浮上し、2021年6月には、スペイン人初となる「全米オープン」を制しました。

 

188センチの恵まれた体格とスピード感あふれるスイングを生かし、平均飛距離300ヤードは当たり前。ラウンド中は、感情をむき出しにしてプレーすることで知られるジョン・ラームにつけられたニックネームは“ランボー” 。愛息の誕生は「全米オープン」メジャー優勝の要因になるほど、精神面で変化があったと語っています。技術、パワー、実力揃ったゴルフの申し子とも称されるジョン・ラーム。今後、魅せるプレーでどんな勝負を見せてくれるか、楽しみな選手です。

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,34 石川遼

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第34回は、

 

社会に旋風を巻き起こした“ハニカミ王子”

 


数々の史上最年少記録を打ち立てた

★石川遼

 

 

出身:埼玉県北葛飾郡松伏町
生年月日:1991年9月17日(30歳)

 

 

 

一番大事なのは自分のゴルフで目指しているものを

 

見失わないでやりつづけることですね。

 

 

出典:ハーフタイム

 

 

 

週刊ジュニアゴルフ教室 石川遼からの挑戦状 基礎トレーニング・レッスン編 [DVD]

画像引用:Amazon

 

 

 

 

6歳のとき、父に連れられて練習場に行ったことがきっかけでゴルフを始め、ジュニア時代から輝かしい成績をおさめる。
高校1年生だった2007年、初めて出場したプロトーナメント「マンシングウェアオープンKSBカップ」で、史上最年少の15歳8ヶ月で優勝を飾る。「ハニカミ王子」の愛称で一躍脚光を浴び、低迷していた男子ゴルフの人気のきっかけとなった。

 

翌2008年1月にプロ転向。プロ1年目の2008年は、11月に「マイナビABCチャンピオンシップ」でプロとして初優勝を果たすなど、賞金ランキングで5位に入り、1億円プレーヤーとなる。そして、プロ2年目の2009年、「マスターズ」などの海外トーナメントに出場。年間で4勝を挙げ1億8000万円を超える賞金を獲得、史上最年少での賞金王に輝く。

 

2010年5月には「中日クラウンズ」で優勝、最終日にマークしたスコア「58」が、「世界最少ストローク」としてギネスブックに正式に認定される。

 

2012年、「三井住友VISA太平洋マスターズ」で、2010年の同大会以来、2年ぶりのツアー優勝を飾り、史上最年少で通算10勝目を挙げた。同年、マスターズなど4大メジャーを含む世界最高峰の米国プロゴルフツアー・PGAツアーに18試合出場し、自身初のシード権を獲得。
2013年からは米国ツアーを主戦場に移し、二度2位を記録したが未勝利。2016年は腰の故障で半年近く戦線離脱し、2017年秋から再び国内を主戦場にした。

 

2019シーズン(日本プロ)は3年ぶりプレーオフを制して優勝し、その後「セガサミーカップ」最終戦の「日本シリーズ」で優勝。通算17勝目を飾り、生涯獲得賞金10億円突破を最年少で達成した。

 

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,33 デビッド・レッドベター

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第33回は、

 

プロを教えるプロ

“世界一のゴルフコーチ”

 

 

★デビッド・レッドベター(David Leadbetter)

 

 

出身:サセックス州ワージング・イングランド
生年月日:1952〜

 

 

 

日本人のアイアンが下手な原因は、練習マット、

 

高麗芝、そして飛距離重視主義にあると思います

 

 

出典:ゴルフダイジェスト

 

 

 

画像引用:Amazon

 

 

  • 出版社 ‏ : ‎ ゴルフダイジェスト社 (2016/12/2)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2016/12/2
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 240ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4772841717
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4772841719

 

 

 

 

デビッド・レッドベターは、イギリスのサセックス州ワージングに生まれ、11歳のときにローデシア(ザンビア・ジンバブエ)に移住、 1969年にツアープロへ転向しました。1982年にアメリカ・フロリダ州に移り、ゴルフスクールを開設します。その後、1988年にオーランドのレイク・ノーナ・ゴルフ・アンド・カントリークラブに活動拠点を移し、そこでニック・ファルド、ニック・プライスらを指導し、名声をあげます。

 

トム・ワトソン、グレッグ・ノーマン、アーニー・エルスなど超一流プロゴルファーのコーチとして、数々のメジャータイトルを獲得。全世界で100勝以上の勝利に貢献するなど、コーチを職業にした初めての人物です。歴代世界ランキング1位選手の約半数がレッドベターの指導を受けていると言われています。

 

『ザ・アスレチックスウィング』をはじめ、著書の数々は、すでに全世界で100万部の発行部数を突破。全世界で35校以上のアカデミーを展開しています。

 

 

 

 

 

レッドベターゴルフアカデミー日本校 公式HP→こちら

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,32 エルスワース・バインズ

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第32回は、

 

テニスのビッグタイトルを手にして、
絶頂期にゴルフに転向。

 

 

“異色のゴルファー”

 

エルスワース・バインズEllsworth Vines

 

 

出身:カリフォルニア州ロサンゼルス
生年月日:1911年9月28日 

没年月日:1994年3月17日(82歳)

 

 

 

ゴルフは学べば学ぶほど、悩めば悩むほど、

 

その世界が広くなっていく。

 

 

 

画像:wikipedia

 

 

バインズは元は、テニスでトップに上り詰めた才能豊かなプレイヤーでした。1930年代前半に活躍した選手で、1931年・1932年の全米選手権と1932年のウィンブルドン選手権男子シングルスで優勝し、4大大会で3勝を挙げます。アメリカの男子テニス選手として、ビル・チルデンやビル・ジョンストンの後に続く世代に位置しています。

 

バインズはテニス選手としての絶頂期、1930年代の終わり頃に、プロゴルファーに転向します。その後はゴルフの「ティーチング・プロ」として生計を立てています。バインズはゴルフでも1951年の全米プロゴルフ選手権でベスト4に進出するなど、好成績を収めています。

 

テニスからゴルフに転向した訳が、今回の名言にああります。
日本では、尾崎将司がプロ野球の世界からゴルフへ転向して成功したことが有名ですが、特定競技で極めた人物だからこそ、よりゴルフの世界に魅了され、広く深く、探究心が駆り立てられたのかもしれません。悩むことの楽しさを知ったとはいえ、転向後はどんな挫折や苦難があったことでしょう。趣味に留まらず、両競技で成功を収めた傑物の言葉には、ポジティブな好奇心と向き合う精神力が伺えます。

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,31 ハリー・バードン

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第31回は、

 

全英オープン6勝は今なお破られない大記録!
英国ゴルフ全盛期の「三巨頭」の一人。

 

 

“バードングリップ生みの親”

 

★ハリー・バードン(Henry William “Harry” Vardon)

 

 

出身:チャンネル諸島、ジャージー島
生年月日:1870年5月9日 

没年月日:1937年3月20日(66歳)

 

 

 

方向性が悪いゴルファーはグリップに問題がある。

 

スイングのせいでないことに気づけば修正できる。

 

 

 

画像:wikipedia

 

 

チャンネル諸島・ジャージー島で生まれたバードンは、10代でキャディーを始め、本土からやって来たゴルファーを見て独学でゴルフを始めました。ゴルフのキャリアを追求するため18歳でイギリスへ渡り、スタッドリーロイヤルゴルフクラブでグリーンキーパーとして働いた1年後、20歳の時に、クラブプロになりました。ボタン付きのジャケット、ニッカボッカーズのネクタイ姿でゴルフをした最初のゴルファーと言われています。

 

現在でも、世界中大多数のゴルファーに採用されている「オーバーラッピング・グリップ」を実践した人物で、別名「バードン・グリップ」としても知られています。

 

バードンは、自作でクラブを作り、遊びで始めたゴルフですが、そのシャフトは薔薇の木で出来ていたといいます。削った棘の部分を握る時、どうすれば痛くないかを考え、これが「バードン・グリップ」の原点となりました。
「バードン・グリップ」は、右手の小指1本を外すことによって“右手4対左手5”という画期的で、しかも理にかなった理想的なグリップとなります。プロ・アマを問わず世界中のゴルファーの90%が、バードングリップを採用しています。

 

1896年、1898年、1899年、1903年、1911年に全英オープンで優勝。そして1914年と1900年に全米オープンでの優勝と、その才能の開花はめざましく、48のトーナメントと21のチームイベントに勝ちました。これは、ゴルフの歴史の中で、1人のプレーヤーがその時点で獲得したタイトルの中で最も多かったものです。

 

1974年、ゴルフ殿堂入り。現在のPGAツアーで、年間平均最少ストロークを出したツアープロ選手に贈られる「バードン・トロフィー」は、バードンの偉業を讃え、その名を由来としています。温厚な人柄の陰に隠れた日々の努力と研究姿勢こそ、ゴルファーたちの尊敬を集め、目標とされています。まさに「近代ゴルフの父」とされる偉大なゴルファーです。

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,30 ゲーリー・プレーヤー

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第30回は、

 

ジャック・ニクラス、アーノルド・パーマーと並んで「ビッグスリー」の一人

 

 

“南アの黒豹”

 

★ゲーリー・プレーヤー(Gary Player)

 

 

出身:南アフリカ共和国・ヨハネスブルグ
生年月日:1935年11月1日(86歳)

 

 

 

一生懸命努力すればするほど、運は味方する。

 

“The harder you work, the luckier you get.”

 

 

 

画像:wikipedia

 

 

1935年に南アフリカのヨハネスブルグで生まれたプレーヤーは、14歳でゴルフを始め、1953年、18歳でプロに転向します。そして、プロ転向4年後にPGAツアーに初参加。1959年の全英オープンでメジャー大会初優勝を達成。マスターズ・トーナメントは1961年、全米プロゴルフ選手権は1962年に初優勝を果たし、ついに1965年、男子ゴルフ史上3人目(ジーン・サラゼン、ベン・ホーガンに続く)となる「キャリア・グランドスラム(世界4大メジャー大会制覇)」を達成しました。

 

プレーヤーの優勝回数は100勝を上回り、メジャー大会優勝記録は通算9勝。これは、ベン・ホーガンと並ぶ歴代4位タイ記録となっています。1974年に世界ゴルフ殿堂が設立されるとすぐに、プレーヤーは殿堂入りを果します。

 

ゴルフクラブなど使用するウエア、用具をすべて黒色で統一していることから、「南アの黒豹」と称され、ジャック・ニクラス、アーノルド・パーマーとともに『ビッグスリー』として、世界のゴルフシーンを常にリード。今なお、プロゴルフ界の重鎮として多大な尊敬を集めています。

 

出典
Wikipedia

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,29 バイロン・ネルソン

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第29回は、

 

米国ゴルフ史上に残る名選手

 

★バイロン・ネルソン(Byron Nelson)

 

 

出身:テキサス州ワクサハチー
生年月日:1912年2月4日
没年月日:2006年9月26日(94歳没)

 

 

 

死ぬまで『欲』はまとわりつくが、

 

練習することによって『不安』は即座に解決される。

 

 

 

画像:wikimedia

 

バイロン・ネルソンは、1912年アメリカ・テキサス州ワクサハチー生まれのプロゴルファー。同郷、同じ年生まれにベン・ホーガン、サム・スニードがおり、彼らと並ぶ偉大なゴルファーであった。フルネームは John Byron Nelson, Jr. というが、「バイロン・ネルソン」の名前の方がよく知られている。

 

バイロン・ネルソンは、ベン・ホーガンと共にレンガーデンのキャディとして雇われ12歳で初めてクラブを握る。17歳になるとトップアマとして知られるようになり20歳でプロ転向を果たす。

 

PGAツアーで通算「52勝」を記録し、メジャー大会でもマスターズ2勝、全米オープン1勝、全米プロゴルフ2勝、総計「5勝」を果たした。バイロン・ネルソンが保持する記録としては、年間公式戦18勝、11連勝、19ラウンド連続60台、120ラウンドの平均ストローク68.33、72ホールズ259ストロークの世界記録などがある。これらはいずれも1945年に成し遂げられ、いまだかつて破られていない大記録である。

 

1946年を最後にツアーから引退するも、その後もマスターズには出場し続け、長年スターターを務めた。1974年に世界ゴルフ殿堂が設立された際に殿堂入り。晩年は彼の名前を冠したPGAツアー大会「バイロン・ネルソン・クラシック」のホストを務めた。2006年9月26日、老衰のため94歳で死去。

 

 

出典
Wikipedia

バイロンネルソンカントリークラブ

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,28 申ジエ

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第28回は、

 

最終ラウンドで強さを発揮する「Final Round Queen」

 

★申ジエ 

 

 

出身:韓国・全羅道
生年月日:1988年4月28日

 

 

 

“負けないメンタル”と“勝つメンタル”は

 

一見同じ意味のようですが、明らかに違いがあります。

 

出典:Number web

 

 

画像:wikimedia

 

父の勧めで11歳からゴルフを始め、2007年に韓国ツアー19戦10勝と驚異的な勝率を記録。
08年「ヨコハマタイヤPRGRレディスカップ」で日本ツアー初優勝。同年「全英リコー女子」を含む米ツアー4勝。09年に米ツアーの賞金女王となり、10年に世界ランキング1位にも到達。

14年からは身体的な負担を理由に米ツアーの会員資格を放棄し、主戦場を日本に移した。15年「meijiカップ」の第2ラウンドから「CAT Ladies」の第1ラウンドの4番まで81ホール連続ノーボギーを続け、当時の日本記録を更新。

18年はツアー史上初となる公式戦(メジャー)年間3勝を達成し、7年シードを獲得。19年には平均ストローク「69.9399」をマークし、ツアー史上初となる60台を成し遂げた。20年「富士通レディース」優勝で生涯獲得賞金は10億円を突破。同年は「TOTOジャパンクラシック」も制した。
21年「ニチレイレディス」に続き「大東建託・いい部屋ネットレディス」を制して日本で28勝目。

(出典:GDOニュース

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,27 ブライソン・デシャンボー

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第27回は、

 

世界一の飛ばし屋

 

ブライソン・デシャンボー

 

 

出身:アメリカ合衆国 カリフォルニア州 クローヴィス
生年月日:1993年9月16日 

 

 

 

僕はある意味、ゴルフ科学者です。

 

僕はそれぞれ、すべての視点からゴルフコースと

 

自分のプレーを分析し、理解しようとしているんだ

 

出典:GDOニュース

 

 

 

 

 

     youtube/ブリヂストンスポーツ

ブライソン・デシャンボーがパフォーマンスを生み出すのは健康的な食事とトレーニング

 

 

モー・ノーマンを彷彿とさせるハンドアップな構え、シンプルなスイングで飛距離では現在一位の飛ばし屋ブライソン・デシャンボー。すべてのアイアンの長さを統一するといった独自の理論を展開し、肉体改造によってツアー屈指の飛ばし屋に変貌を遂げた。ヘッドスピードは57を超え、ボール初速は90キロ超。飛距離も380ヤードをマークするなど、尋常ではない数値を叩き出している。

 

「ゴルフの科学者」と自称するデシャンボーは、カリフォルニア州 クローヴィス出身の28歳。2010年にカルフォルニア州のジュニア選手権を制して頭角を現した。南メソジスト大に進み、15年には「全米アマチュア選手権」と「NCAA全米学生選手権」を制した。16年「マスターズ」を21位で終えた翌週にプロに転向。

 

2017年、ジョンディア・クラシックでツアー初優勝。2020年、全米オープンでメジャー初優勝。ウイングドフットゴルフクラブ・ウエストコース で開催された同大会における最小スコアで2位のマシュー・ウルフに6打差をつけて勝利し、自身の肉体改造等の理論の正しさを証明した。

 

努力する天才に苦難はつきもので、PGAツアー、LPGAツアーが2022年1月より、「パターを除くクラブの長さを46インチ以内に規制」を採用した。46インチ以上のドライバーの使い手には、痛いルール変更になるのか? これまでもデシャンボーはルールの解釈を巡り、何度もUSGAとぶつかってきた。
スロープレーがプロゴルファー仲間からも批判されたことが取り沙汰された事もある。デシャンボーはこれらの課題を、どんなゴルフ科学で乗り切っていくのか? そして更なる変貌を遂げ、どのように円熟していくのか? ディシャンボーの挑戦を見守ってみよう。

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,26 フィル・ミケルソン

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第26回は、

 

希望をありがとう!
50歳で全米プロ優勝を果たした“ビッグ レフティー”

 

フィル・ミケルソン

 

 

出身:アメリカ合衆国 カリフォルニア州 サンディエゴ
生年月日:1970年6月16日

 

 

 

「50って単なる数字でしかないから、何も変わらない。

 

僕の前にはまだまだたくさんの時間があるし、

 

まだまだたくさんのことができる」

出典:ALBA.Netのゴルフニュース

 

 

画像:Wikipedia

 

 

2020年、50歳を迎えるミケルソン選手が語った言葉です。50は単なる数字でしかないことを証明するかのように今年5月、最年長記録で全米プロ優勝を果たしました。これには勇気や希望をもらった人も多いのではないでしょうか。

 

ミケルソン選手は、生後18カ月でボールを打ち始めます。日常では右利きですが、海軍パイロットだった父親のスイングを鏡に映すように真似て覚えたため、ゴルフに限ってはレフティになったとか。アリゾナ州立大時代の1990年に「全米アマチュア選手権」を制し、翌91年には米ツアー「ノーザンテレコム」でアマ優勝。大学卒業後の92年にプロ転向し、翌年93年には「ビュイック招待」でプロ初勝利を果たします。

 

しかし、20代で何度もタイトル獲得のチャンスを逃し“無冠の帝王”とも呼ばれたことも。2004年ようやくマスターズで勝利し、汚名を返上します。05年「全米プロ」で完全優勝、タイガー・ウッズと人気を二分する世界のビッグレフティと呼ばれ、2012年にゴルフ殿堂入りとなりました。

 

シャフトのしなりを生かした効率的なスイングで、50歳を超えた今も300ヤードを飛ばせるのは驚異的。ドライバーからウエッジまで同じリズムで振れるそのスイングは、研究のし甲斐がありそうです。
スーパースターのこれからの活躍も応援しつつ、期待が高まります。