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Category: 世界の名プレイヤー【今月のお言葉】


世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,61 パット・ブラッドリー

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第61回は、

 

キャリアグランドスラムを達成した3人目の女性ゴルファー

 

★パット・ブラッドリー

Pat Bradley

 

出身:マサチューセッツ州ウェストフォード
生年月日:1951年3月24日 (73歳)

 

 

 


  • プレッシャーは特権である。それをどう活用するかが重要だ。

     

 

 

 

 

出典:youtube

United States Golf Association

 

動画は1981年全米女子の最終ラウンド。24歳の新星ベス・ダニエルに勝利し、
キャリア6回のメジャータイトルのうち、2つ目を獲得した時のブラッドリー。

 

 

パット・ブラッドリーは5歳でゴルフを始め、1967年と1969年のニューハンプシャーアマチュア、1972年と1973年のニューイングランドアマチュアで優勝しました。彼女はフロリダ国際大学で大学ゴルフをプレーしたのち、1970年にオールアメリカンに選ばれました。

 

ブラッドリーは1974年にLPGAツアーに参加し、2年後の1976年ガールトーククラシックで初のLPGAツアータイトルを獲得。1978年に初めて同一シーズンに複数回優勝(3回)し、さらなる80年代に活躍を見せます。1980年(デュモーリアクラシック)と1981年(全米女子オープン)で、初のメジャータイトルを獲得。1986年には、LPGAツアーの4つのメジャーのうち3つ(デュモーリアクラシック、シェブロン選手権、KPMG女子PGA選手権)で優勝し、そのシーズンに初の年間最優秀選手賞とヴァーレトロフィーも獲得しました。

 

1988年に、ブラッドリーはバセドウ病と診断されますが、不屈の精神で、1995年末までにさらに9回優勝します。通算31回の優勝を果たしたブラッドリーは、1991年に世界ゴルフ殿堂とLPGA殿堂入りを果たし、2018年にはニューハンプシャーゴルフ殿堂入りも果たしました。選手としてだけでなく、指導者としての評価も高い、世界屈指の女子プロゴルファーです。

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,60 ジェローム・トラバース

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第60回は、

 

アマチュア最高のゴルファー

 

ジェローム・トラバース

Jerome Travers

 

出身:ニューヨーク
生年月日:1887年5月19日

没年月日:1951年3月29日(63歳)

 

 

 


  • ゴルフは両手のゲームであると同じぐらい頭のゲームでもある。

     

 

 

 

出典:Wikipedia

 

 

 

ジェローム・トラバースは、1900年代初頭の主要なアマチュアゴルファーの一人です。

ニューヨーク市で生まれたトラバースは、ニュージャージー州初の偉大なアマチュアゴルファーとみなされているだけでなく、ボビー・ジョーンズ以前の時代では最も優れたアメリカのアマチュアゴルファーと称されていました。

 

トラバースは、は1907年、1908年、1912年、1913年に全米アマチュアで優勝し、ニュージャージーアマチュアで3回、メトロポリタンアマチュア(ニューヨーク)で5回の優勝を果たしています。
当時最も優れたマッチプレーゴルファーの一人として、ウォルター・トラビスとのライバル関係は有名です。


1915年、トラバースはバルトゥスロールゴルフクラブで行われた全米オープンで優勝し、
この大会で優勝した5人のアマチュア選手のうち2人目となります。そして、この最大の勝利によって、1913年のフランシス・ウィメットに次いで全米オープンで優勝した2人目のアマチュアとなりました。トラバースは、一度優勝すると二度とトーナメントに出場することはありませんでしたが、アマチュアとしての偉大な功績を讃えられ、1976 年には世界ゴルフ殿堂入りを果たしました。

 

 

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,59 ピーター・トムソン

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第59回は、

 

セント・アンドルーズのスペシャリスト

 

★ピーター・トムソン

Peter William Thomson

 

出身:オーストラリア・ブランズウィック
生年月日:1929年8月23日
没年月日:2018年6月20日(88歳没)

 

 


  • あの場所で
    素晴らしいライに恵まれるとは
    なんてラッキーなんだろう

     

 

 

 

出典:Wikipedia

 

 

 

トムソンはオーストラリアのブランズウィックで生まれ、13歳でゴルフを開始しています。ドライな強風と固い地面という特徴を持つメルボルンのゴルフ場は、持ち球の低いドローボールに磨きをかけトムソンのゴルフの技量を育てました。20歳でプロになり、1954年の全英オープンでは、オーストラリア人として初制覇。トムソン25歳の時でした。同年1954年から1956年まで3連覇を達成し、65年までの間、全英オープンで5度の勝利を重ねました。

 

トムソンは、ヘンリー・コットンから伝授された「1番ホールが大事。1番ホールのドライバーショットは左に打って、18番ホールのフェアウェイにボールを置き、第2打はそこからグリーンをワイドに狙え」という攻略法を忠実に守ったといいます。また、1952、1953、1957年は全英オープン2位となり、ゴルフ発祥のコース・セントアンドリュースで特に強さを発揮したことでも知られています。メルボルンで培った技術がまさにリンクスで花開いたと言っても過言ではないでしょう。その功績を称えられ、エリザベス女王から「サー」の称号を与えられたことでも有名です。

 

日本ツアーでは、1969年と1972年に「国際招待ゴルフ・中日クラウンズ」で優勝した他、1971年にはダンロップゴルフトーナメント、ウィザードトーナメントでも優勝しました。1988年に世界ゴルフ殿堂入り。世界中のツアーでの優勝実績があるトムソンは、その経験を活かしコース設計にも力を入れており、トムソン設計のコースは、日本でも栃木県のトムソンカントリークラブをはじめとする13コースがあり、世界各地には170コース以上あります。

2018年、パーキンソン病で死去。享年88歳でした。

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,58 トム・カイト

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第58回は、

 

史上最も偉大なショートアイアンプレーヤー

 

★トム・カイト

Tom Kite

 

出身:アメリカ合衆国テキサス州オースティン
生年月日:1949年12月9日〜

 

 


  • 極限の緊張で心も体も震える。この震えが僕は愉しいし、
    どんなに素晴らしい気持ちか他人にはわからないだろう。

     

 

 

 

出典:United States Golf Association (USGA)

 

 

 

アメリカのプロゴルファーであり、ゴルフコース建築家でもあるトム・カイトは、テキサス州マッキーニーで生まれました。6歳でゴルフを始め、11歳で最初のトーナメントで優勝し、その後、奨学金でテキサス大学へ進学。4年間で9つの大学トーナメントで優勝しています。

 

プロに転向したのは1972年。トム・カイトは、ゴルフに様々な革新をもたらします。例えば、スポーツ心理学を取り入れたり、ゲーム上達のために体重を重視したり、3本目のウエッジをゴルフバッグに装備したのも彼が最初でした。また、部分的に失明した彼は、レーザー手術を受けて、プロとしてのキャリアを継続したと言われています。

 

トム・カイトのゴルフは、無謀な賭けのようなことは行わず、ひとつずつ積み上げていくような堅実さが特徴です。派手さはないものの、独自のスタイルを貫き、1981年と 1989年にツアーの最多賞金獲得者となります。全盛期、ショートアイアンでは、彼に匹敵する者はなく、ジョニー・ミラーは彼を「史上最も偉大なショートアイアンプレーヤー」と称賛しています。

 

2005年のPGAツアーでは、ブーズ・アレン・クラシックを1打差でリードし、55歳で最終ラウンドに進んでいましたが、順位を落としてセルヒオ・ガルシアと7打差の13位タイに終わりました。もしトム・カイトがリードを保つことができていたら、PGAツアー最年長優勝者としてサム・スニードの記録を3年上回っていたと言われています。

 

常に冷静で淡々としたゴルフで、正統派の愛好家たちの支持を受けていたトム・カイトは、ゴルフ殿堂入りも果たしている名プレーヤーの一人です。1992年ペブルビーチで行われた全米オープンでは、極限の状況でミラクルショットを放ち優勝。冷静さの裏側の感情がどういったものか、それが今回の名言です。

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,57 ナタリー・ガルビス

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第57回は、

 

セクシー美女ゴルファーとしてかつて女子プロ界を席巻

 

★ナタリー・ガルビス

Natalie Gulbis

 

出身:アメリカ合衆国カリフォルニア州
生年月日:1983年1月7日(41歳)

 

 


  • 失敗すればミスから学ぶ。そしてもっと頑張るというやる気が出る。

 

 

 

出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

 

 

 

この美女を覚えておいででしょうか。宮里藍が渡米し、注目を集める頃にガルビスも活躍していました。ガルビスがゴルフに興味を持ったのは、4歳。7歳の時にトーナメントで初優勝。その後、14歳で出場したカリフォルニア女子アマチュア選手権で優勝しています。さらに18歳で、ガレッジゴルフ選手権でNCAAランキングでも2位に入り、2001年にプロ転向。セクシー美女ゴルファーとして、ビジュアル面で高い人気を誇ります。2004年の全米女子オープン直前にカレンダーをリリースしましたが、ゴルフする姿だけでなく、水着姿があったため、全米ゴルフ協会は不適切とし、イベントでの販売を禁止するなど、物議を醸すエソードもあります。ビジュアル面での人気になかなかゴルフ成績が追いつかないシーズンが続きましたが、2005年は優勝は無かったものの、常に上位に食い込み、賞金ランク6位に入っています。翌年2006年の「コーニングクラシック」では、通算18アンダーで金美賢とのプレーオフで惜しくも敗れたものの、2007年「エビアンマスターズ」で悲願の初優勝を果たしました。

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,56 ピート・ダイ

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第56回は、

 

悪魔のゴルフ設計

 

★ピート・ダイ

Pete Dye

 

出身:アメリカ合衆国オハイオ州アルバーナ
生年月日:1925年12月29日
没年月日:2020年1月9日没(享年94歳)

 

 


  • 熱心なゴルファーは、もし誰かがピンフラッグをエベレストのてっぺんに立てればエベレストでもプレーするだろう。

 

 

 

Blackwolf Run,Wisconsin.USA
出典:yourgolftravel.com

 

 

 

ピート・ダイが生まれる数年前、父がゴルフに熱中し、シャンペーン郡の家族の土地に「アルバーナ・カントリークラブ」という9ホールのコースを建設しました。子どもの頃から、ピート・ダイはそのコースで働きプレーし、ゴルフを覚えます。高校在学中、オハイオ州高校ゴルフ選手権で優勝し、州アマチュアゴルフ選手権でメダルを獲得します。その後、第二次世界大戦中は入隊。除隊後、フロリダに移り住み、ウィンターパークのロリンズ大学に入学。そこで妻のアリス・ホリデイ・オニールと出会い、2人は1950年初めに結婚します。2人は彼女の故郷であるインディアナポリスのあるインディアナ州に移り、ダイは保険の販売員となります。数年のうちに、彼は100万ドルのセールスマンとして頭角を現し、アマチュアゴルフでも成功するのです。

 

30代半ばでゴルフコース設計者になることを決意したピート・ダイは、妻と事業でもパートナーとなり、二人の最初の設計はインディアナポリス南部の9ホールのエルドラドコース。最初の18ホールのコースは1962年にインディアナポリスで造られ、ヘザーヒルズと名付けられます。現在はメープルクリークゴルフ&カントリークラブとして知られています。彼のデザインは、小さなグリーンやバンカーを支える枕木の使用など、独特の特徴があり、世界で最も影響力のあるコース設計者の一人と言われています。2008年11月には生涯功労部門で世界ゴルフ殿堂入りを果たしました。

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,55 ビリーキャスパー

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第55回は、

 

ビッグ3時代の「ビッグ1」。
パットの名手

 

★ビリー・キャスパー

Billy Casper

 

出身:サンディエゴ
生年月日:1931年6月24日
没年月日:2015年2月7日没(享年83歳)

 

 


  • ボールがどこに行って欲しくないかではなくて、
    どこにボールを置きたいかを考えるようにするんだ。

 

 

 

出典:Wikimedia Commons

 

 

 

ビリーキャスパーは、1950年代半ばから70年代半ばまでのPGAツアーで活躍したアメリカ合衆国のプロゴルファーです。4歳のときにゴルフを始め、11歳のときには、サンディエゴカントリークラブでキャディとして働き始めています。この選択が功を奏し、15歳の時にベン・ホーガンに出会っています。
この出会いは、キャスパーに大きな影響を及ぼしたことは、想像に難くありません。後に自叙伝で、ベンホーガン由来のプレースタイルについて、「ビリヤードの選手のように常に次のショットにつながるよう、戦略的にショットを放ったものだ。」と語っています。

 

1954年にプロ入りし、1956年のラバット・オープンでツアー初優勝。1959年の全米オープンでメジャー初優勝を果たしています。ほかに66年の同大会、70年のマスターズでも優勝したほか、PGAツアーで通算51勝をマーク。これは歴代7位の記録となっています。1961年から79年まで(77年を除く)の間ライダーカップアメリカ代表として9度出場し、1978年に世界ゴルフ殿堂入りを果たしました。

 

当時華やかに注目されるパーマー、ニクラス、プレーヤーのビッグ3全盛期の頃、その存在は薄いながらも戦略的で手堅いプレースタイルは、冷静なハスラーに例えられ、ニクラスにも恐れられるほど。ゴルフ史に残る名ゴルファーです。

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,54 ダイ・リース

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第54回は、

 

ウェールズの偉大なるゴルファー

 

★ダイ・リース(デビッド・ジェームズ・リース)

Charles Blair Macdonald

 

出身:ウェールズ
生年月日:1913年3月31日
没年月日:1983年11月15日

 

 


  • 非常に早いバックスイングをするものに

    一流のプレーヤーはいない。

    クラブヘッドのスピードは必要だが

    バックスイングのときには、まだその必要はないのだ。

 

 

 

 

 

ウェールズのフォンティガリー生まれのリースは、ウェールズの偉大なゴルファーの一人であり、ライダーカップのヒーローと言われています。

 

ダイ・リースは、ゴルフ一家に生まれ、ゴルフにどっぷり浸かって成長します。s彼の父親はクラブのプロで、母親はレイズゴルフクラブのクラブ管理人でした。彼がゴルフについて覚えている一番古いことは、5歳の時のことです。リースがクラブチャンピオンのパッティング練習を見ていると、打ってみないかと誘われたのです。驚いたことに、5歳の彼はパットに成功。その後、彼は初めてプレーしたホールではボギーだったものの、確かに、伸びしろたっぷりの才能があったのです。

リースのキャリアは1930年代から1960年代にかけて続きました。小柄だったリースは、身長を補うように肉体的、精神的な強さを身につけました。彼は全英プロゴルフ選手権で 四度優勝し、全英オープンでは、優勝こそないものの、 三度準優勝し、「全英オープンで優勝したことのない最高のゴルファー」と称賛されています。

リースの栄光の瞬間は 1957 年にやってきます。ライダー カップ チームのキャプテンを務め、22 年ぶりにヨーロッパにタイトルを持ち帰ったときでした。彼は国民的有名人となり、1958年にCBE(大英帝国勲章)を授与され、年間最優秀スポーツマンに選ばれました。リースは合計 9 回のライダーカップに出場しています。

リースは生涯ゴルフを続け、1976 年に R&A(英国ゴルフ協会)の名誉会員になりました。アーセナル FC の熱心なサポーターであったリースは、サッカーの試合の帰りに車を事故に遭いました。彼は、事故の後遺症から回復することなく、数か月後に70歳で亡くなりました。

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,53 チャールズ・マクドナルド

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第53回は、

 

アメリカゴルフ界黎明期の主要人物

 

★チャールズ・マクドナルド

Charles Blair Macdonald

 

出身:カナダ/オンタリオ州ナイヤガラフォールズで生まれ
生年月日:1855年11月14日
没年月日:1939年4月21日

 

 


  • 風はゴルフの最大の財産だ。
    風がいろいろ変化することによって、
    ひとつのホールがいくつものホールとなるからだ。

 

 

 

 

画像:Wikipedia

 

 

チャールズ・マクドナルドは、スコットランド人の父と北アメリカの先住民族モーホーク族の血を引くカナダ人の母を持ち、両親の米国帰化により、シカゴで育ちました。1872年、16歳だったチャールズは、父親に命ぜられてスコットランドのセントアンドリュース大学に留学し、そこでゴルフを覚えます。前回このコーナーでお伝えしたオールドトムモリスらに指導を受けて、ゴルフの腕はみるみる上達し、ヤングモリスと並んでセントアンドリュースオールドコースでは、当時上級者と言われたようです。

アメリカにゴルフが伝わったのは、1880年台後半。スコットランド人移民が持ち込んだと言われています。チャールズもこの当初より友人をゴルフへ誘い、ゴルフコースを設計しています。アメリカにゴルフが伝わった当初からの主要人物で、米国で初めての18ホールゴルフコースを設計・建設しています。まさに、アメリカゴルフ黎明期を支えた人物で、また、全米ゴルフ協会 (USGA) 設立の原動力として活躍しました。第1回全米アマチュアゴルフ選手権の優勝者でもあります。

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,52 オールド・トム・モリス

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第52回は、

 

数々の名コースを造った「ゴルフの守護神」

 

★オールド・トム・モリス

Old Tom Morris

 

出身:スコットランド・セント・アンドリュース
生年月日:1821年6月16日
没年月日:1908年5月24日

 

 


  • 届かなければ、入らない。

 

 

 

 

画像:Wikipedia

 

 

「オールド・トム・モリス 」は、本名をトーマス・ミッチェル・モリスといい、スコットランドの人ゴルファーです。オールド・トムは、1821年、ゴルフ誕生の地として知られるスコットランドのファイフにあるセント・アンドルーズの地で生まれ、1908年そこで亡くなりました。息子の「ヤング・トム・モリス」もまたゴルファーです。

 

オールド・トムは、1860年の第1回全英オープンで準優勝し、その翌年以降、1867年までに4回の優勝。さらに、その後1868年から4回の優勝を重ねたのは、なんと息子のヤング・トム・モリス。優勝と準優勝を分け合ったことのある唯一の親子ゴルファーという記録もあります。オールド・トムの46歳での優勝は今でも最年長記録となり、75歳になっても全英オープンに出場しています。また、ゴルフ場の設計、グリーンキーピングの革新をもたらし、正しく、ゴルフの黎明期を支え、創ったレジェンドであります。

 

そんなレジェンドが残した言葉「Never up, never in(届かなければ入らない。)」は、あまりにも有名です。理屈としては当たり前ですが、ゴルファーなら意味深く受け取れるでしょう。弱気で打っても、届かなければ意味がなく、悔いも残りやすいですよね。

オールド・トム・モリスは、1976年に殿堂入り、今でも多くのゴルファーを惹きつけ、セントアンドリュース18番グリーン脇には、トム・モリスショップが現存しています。