ゴルファー必見。 お役立ち情報!

Category: 世界の名プレイヤー【今月のお言葉】


世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】アーカイブ その2 No,16〜35

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言
ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

世界の名プレイヤー「今月のお言葉」は、これまでのアーカイブとして、第1回〜15名の名言をお届けします。一気に見直してみると、改めて「なるほど!」と思うことがあるかもしれません。今のあなたにピッタリの名言がきっとあるはず。じっくり振り返ってみてください。

 

★★★

 

 

「ピアニストのタッチと、金庫破りのデリケートさを持った男」

No,16 ウォルター・ヘーゲン 

 

出身:アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ロチェスター
生年月日:1892年12月21日  
没年月日:1969年10月5日(76歳没)

 

 

私は1ラウンドに3つか4つのミスをするものと、

 

あらかじめ覚悟している。

 

それゆえにミスをしてもくさらないのだ。

 

 

 

「世界で最も華麗なスイング」と評された

No,17 サム・スニード


出身:アメリカ合衆国 バージニア州アシュウッド
生年月日:1912年5月27日  
没年月日:2002年5月23日(89歳没)

 

 

立ち直る能力こそ、偉大なプレイヤーのしるしだ。

 

偉大なチャンピオンはみな、挫折から立ち直っている。

 

 

 

 

米ツアーの公式SNSは彼を「BEAST(ビースト)」野獣と呼んだ。

No,18 松山 英樹


出身:愛媛県松山市出身
生年月日:1992年2月25日

 

 

僕は誰かにこれがベストの方法だよと言ってもらうよりも、

 

自分で何かを見つけることを、思いのままに捜し求めて

 

違うことを試し、何が自分に最もあっているかを見出すことを

 

いつも楽しんできました。

 

 

 

 

50年に渡って現役を続行してきた日本プロゴルフ界のドン

No,19 杉原 輝雄


出身:大阪府茨城市
生年月日:1937年6月14日
没年月日:2011年12月28日(74歳)

 

 

苦しい時の我慢は普通の我慢。

 

本当の我慢はここがチャンスだという時に、

 

心を逸(はや)らせない我慢である。

 

 

 

 

史上初の女子高生プロゴルファーとして注目を集めた「藍ちゃん」。

No,20 宮里 藍


出身:沖縄県国東郡東村
生年月日:1985年6月19日

 

 

「人間って楽なほうに行こうとするんですが、

 

『ここで負けても次があるや』って思ってたら、もうそれで終わり」

 

 

★★★

 

急激な成長は望んでいません。近道はないのです。

 

コツコツと、ひとつひとつ丁寧に。

 

しっかり自分と向き合う事で確かな物を自分の中で

 

積み重ねていけれるように、楽しみます!!」

 

 

 

日本人初のマスターズ・トーナメント出場「トラさん」。

No,21 中村 寅吉


出身:神奈川県横浜市
生年月日:1915年9月17日
没年月日:2008年2月11日(92歳)

 

 

「カンとは、頭の働きではなく、普段の練習の結果、生まれるもの。

 

 

 

 

構えて数秒!早打ちの名手。

No,22 ジョージ・ダンカン


出身:スコットランド/メスリック
生年月日:1883年9月16日
没年月日:1964年1月15日(80歳)

 

 

パットのラインを読み取るには、常に第一感が正しい

 

これを修正すると、たいていはラインをはずれるものだ。

 

 

 

 

世界一のボールストライカー。

No,23 モー・ノーマン


出身:カナダ/オンタリオ州・キッチナー
生年月日:1929年7月10日
没年月日:2004年9月4日(75歳)

 

 

私は世界のゴルファーではありません。

 

ただただ生きている偉大さを感じなければなりません。

 

純粋に、いつも真っ直ぐに。

 

とてもシンプルな方法です。

 

ボールはまっすぐ飛んでいきます。

 

 

 

 

鬼才!日本最強のプロゴルファー。

No,24 戸田藤一郎


出身:兵庫県・神戸市
生年月日:1914年11月22日
没年月日:1984年7月11日(69歳)

 

 

半端なゴルファーほど自分のスウィングについて

 

語りたがる。

 

 

 

 

“日本ゴルフ界 初メダル”
2020東京オリンピック銀メダルおめでとう!

No,25 稲見 萌寧 


出身:東京都
生年月日:1999年7月29日

 

 

完璧主義者なので全部向上させたい。負けたくない気持ちが強い。

 

 

 

 

希望をありがとう!
50歳で全米プロ優勝を果たした“ビッグ レフティー”

No,26 フィル・ミケルソン


出身:アメリカ合衆国 カリフォルニア州 サンディエゴ
生年月日:1970年6月16日

 

 

「50って単なる数字でしかないから、何も変わらない。

 

僕の前にはまだまだたくさんの時間があるし、

 

まだまだたくさんのことができる」

 

 

 

 

世界一の飛ばし屋

No,27 ブライソン・デシャンボー


出身:アメリカ合衆国 カリフォルニア州 クローヴィス
生年月日:1993年9月16日 

 

 

僕はある意味、ゴルフ科学者です。

 

僕はそれぞれ、すべての視点からゴルフコースと

 

自分のプレーを分析し、理解しようとしているんだ。

 

 

 

 

最終ラウンドで強さを発揮する「Final Round Queen」

No,28 申ジエ 


出身:韓国・全羅道
生年月日:1988年4月28日

 

 

“負けないメンタル”と“勝つメンタル”は

 

一見同じ意味のようですが、明らかに違いがあります。

 

 

 

 

米国ゴルフ史上に残る名選手

No,29 バイロン・ネルソン 

 

出身:テキサス州ワクサハチー
生年月日:1912年2月4日
没年月日:2006年9月26日(94歳没)

 

 

死ぬまで『欲』はまとわりつくが、

 

練習することによって『不安』は即座に解決される。

 

 

 

ジャック・ニクラス、アーノルド・パーマーと並んで「ビッグスリー」の一人

“南アの黒豹”

No,30 ゲーリー・プレーヤー 

 

出身:南アフリカ共和国・ヨハネスブルグ
生年月日:1935年11月1日

 

 

一生懸命努力すればするほど、運は味方する。

 

 

 

全英オープン6勝は今なお破られない大記録!
英国ゴルフ全盛期の「三巨頭」の一人。

“バードングリップ生みの親”

No,31 ハリー・バードン 

 

出身:チャンネル諸島、ジャージー島
生年月日:1870年5月9日 

没年月日:1937年3月20日(66歳没)

 

 

方向性が悪いゴルファーはグリップに問題がある。

 

スイングのせいでないことに気づけば修正できる。

 

 

 

テニスのビッグタイトルを手にして、
絶頂期にゴルフに転向。
“異色のゴルファー”

No,32 エルスワース・バインズ 

 

出身:カリフォルニア州ロサンゼルス
生年月日:1911年9月28日 

没年月日:1994年3月17日(82歳没)

 

 

ゴルフは学べば学ぶほど、悩めば悩むほど、

 

その世界が広くなっていく。

 

 

 

 

プロを教えるプロ

“世界一のゴルフコーチ”

No,33 デビッド・レッドベター 

 

出身:サセックス州ワージング・イングランド
生年月日:1952〜

 

 

日本人のアイアンが下手な原因は、練習マット、

 

高麗芝、そして飛距離重視主義にあると思います。

 

 

 

 

社会に旋風を巻き起こした“ハニカミ王子”

数々の史上最年少記録を打ち立てた

No,34 石川遼 

 

出身:埼玉県北葛飾郡松伏町
生年月日:1991年9月17日

 

 

一番大事なのは自分のゴルフで目指しているものを

 

見失わないでやりつづけることですね。

 

 

 

 

2021年全米オープンでメジャー初優勝。

スペイン人として初の快挙を成し遂げた“ランボー”

No,35 ジョン・ラーム 

 

出身:スペイン・バスク州ビスカヤ県
生年月日:1994年11月10日

 

 

昔の自分なら、もし怒りを感じてもそれを沈めるための

 

言い訳をいつも用意していた。

 

でも今は、息子にとって模範の人間なんだ。

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】アーカイブ その1

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言
ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

世界の名プレイヤー「今月のお言葉」は、これまでのアーカイブとして、第1回〜15名の名言をお届けします。一気に見直してみると、改めて「なるほど!」と思うことがあるかもしれません。今のあなたにピッタリの名言がきっとあるはず。じっくり振り返ってみてください。

 

★★★

 

 

ザ・ゴルフの帝王

No,1 ジャック・ニクラス 

 

出身:アメリカ・オハイオ州
生年月日:1940年1月21日生まれ

 

 

私よりいいショットが打てる選手は大勢いる。だから、彼らに勝つためには、彼らよりも準備をすることだと思った。

 

 

 

日本最強のアマチュアゴルファー

No,2 中部 銀次郎


出身:山口県下関市出身

1942年2月16日 – 2001年12月14日

 


練習場で、自分の嫌いなクラブ一本だけ持っていって

練習する人は、ほとんどいない。

 

 

 

テレビが普及し始めた時代のスーパースター

No,3 アーノルド・パーマー

 

出身:ペンシルベニア州ラトローブ出身
1929年9月10日 – 2016年9月25日

 


絶対勝つと思ったら、勝つ。

高く昇ろうと思ったら、高いところを思え。
勝つのは、たいがい、勝てると思っている人間だ。

 

 

 

 

 

世界に日本のゴルフを知らしめた「東洋の魔術師」と呼ばれる男

No,4 青木功


出身:千葉県我孫子市
1942年(昭和17年)8月31日


私はいつも自分に
四つのことを言い聞かせている。

耐えること。

やりとげようとする気迫を失わぬこと。

失敗は忘れ、常に次の手を考えること。

そして「素早い気分転換」だな。

 

 

 

そのスター性と影響力、ゴルフ界随一

No,5 ローリー・マキロイ

 

出身:イギリス、北アイルランドダウン州ハリウッド
1989年5月4日

 


何かを変えるということに対する怖さというのは
全くない。
どの選択肢も自分が希望して、やりた
い方向へと進んできたものだから。

 

 

 

“ホワイト・シャーク”のニックネームを持つゴルフ界のスーパースター

No,6 グレッグ・ノーマン

 

出身:オーストラリア・クイーンズランド州 
1955年2月10日

 

 

運というものは自分のプレイで引き寄せるものだ。
不運というものは存在しない。

 

 

 

自己中バッシングを物ともしない華のある名プレイヤー

No,7 尾崎将司

 

出身:徳島県 海部郡
1947年1月24日 

 

 

ゴルフは心・技・体ではなく、体・技・心の順なのだ

 

 

 

数々の金字塔を打ち立ててきたスーパースター

No,8 タイガーウッズ

 

出身:アメリカ合衆国・カリフォルニア州サイプレス
1975年12月30日

 

 

戦い続ければ、乗り越えられる。

 

 

 

AON。一時代を築いたプロゴルフ界のビッグ3

No,9 中嶋常幸

 

出身:群馬県
1954年10月20日

 

 

集中力というのは、裏返すと言い訳をしないということ。

自分はそれまで言い訳が多すぎた。

 

 

 

世界一美しいスイングと称された米国人以外史上初の賞金女王

No,10 岡本綾子

 

出身:広島県東広島市安芸津町
1951年4月2日 

 

 

ゴルフはどんなにテクニックを磨いても勝てる競技じゃありません。

最後は人間性がものを言う。それもゴルフ技術の一つ。

 

 


「歴代最強のゴルファー」と称される不屈のレジェンド

No,11 ベン・ホーガン


出身:アメリカ・テキサス州ダブリン
生年月日:1912年8月13日生まれ
没年月日:1997年7月25日(84歳没)

 

 

不安と緊張こそゴルフゲームでの最高の調味料である。

 

 

 

帝王”ジャック・ニクラウス”の後継者、新帝王と呼ばれた男

No,12 トム・ワトソン

 

出身:アメリカ合衆国 ミズーリ州 カンザスシティ
生年月日:1949年9月4日

 

 

成功の確率を倍にしたければ、失敗の確率も倍にすることだ。

 

 

 

世界初のグランドマスター/サンドウェッジの生みの親

No,13 ジーン・サラゼン


出身:アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ハリソン
生年月日:1902年2月27日 
没年月日:1999年5月13日(97歳没)

 

 

ゴルフで油断が生まれる最も危険な瞬間は、

万事が順調にいっているそのときだ

 

 

 

球聖と呼ばれた伝説のゴルファー/マスターズ創始者

No,14 ボビー・ジョーンズ

 

 

出身:アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ市生まれ
生年月日:1902年3月17日 
没年月日:1971年12月18日(69歳没)

 

 

ゴルファーは一番身近な最強の敵は、
自分自身であることにすぐに気づくのである。

 

 

 

女子プロ第1号からゴルフの伝道師へ。海外女子ツアーの先駆者

No,15 樋口久子


出身:埼玉県川越市
生年月日:1945年10月13日

 

 

 

長年すごくいい成績を残してきた選手が共通して言っているのは、

『あまり考えすぎないで練習して、あとは無駄な知識を排除してシンプルにできるか』ということ。

 

 

 

 

ぐっとくるお言葉は見つかりましたか?
高みを目指しその道を極めたマスターたちの言葉は、どれも哲学的であります。謙虚さが表れた言葉、決して折れない力強い言葉、一筋に突き進み、たどり着いた先で見えた景色を教えてくれる名言ばかりです。ゴルフとは人間性を極めるスポーツということに尽きますね。次回のアーカイブもお楽しみに!

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,38 ジャック・バーク・ジュニア

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第38回は、

 

マスターズとPGAチャンピオンシップ
2つのメジャータイトルを獲得した世界ゴルフ殿堂のメンバー。


★ジャック・バーク・ジュニア

 

 

出身:アメリカ合衆国 テキサス州 フォートワース
生年月日:1923年1月29日 (年齢 99歳)

 

 


バンカーショットは、最もやさしいショット

   なぜならボールを打たなくていいのだから 

 

 

 

 

 

画像:iStock(Sand splash in golf bunker)

 

 

ジャック・パーク・ジュニアは、1950年代に活躍したアメリカのプロゴルファーです。
父親のジャック・バーク・シニアもプロゴルファーで、1920年の全米オープンで準優勝しています。バーク・ジュニアは7歳の時に、父のシニアからゴルフの手ほどきを受け、19歳でプロに転向します。幼い頃から、父シニアが教えるゴルファーたちが周囲にいたこともいい影響となっていたと後に語っています。しかし、プロ転向後すぐに第二次世界大戦となり、バーク・ジュニアは海軍に入隊。4年間を軍隊で過ごしました。

 

戦後すぐにバーク・ジュニアは、ゴルフのキャリアを再開。1950年、ツアーに出場後すぐに頭角をあらわします。1951年に4勝をあげ、1952年はマスターズでサム・スニードに続く準優勝を勝ち取ります。1956年にマスターズと全米プロを制して、その年の最高優秀選手となるなど一躍時の人に。身長170cmと、アメリカ人にしては小柄ながら、PGAツアーで通算16勝をあげた名プレーヤーとなりました。

 

バーク・ジュニアは、ツアーを離れてからもレッスンプロとしてもその評価は高く、『ゴルフの極意16章』という著書も出しています。この著書の中で、彼は「パーセンテージ・ゴルフ」を提唱し、「プレーできないショットを知れ。パーセンテージ・ゴルフとは、プレーできるショットでゲームを進める術ではなく、プレーできないショットを除いてゲームを進める術である。」と説いています。理論的であり哲学的でもありますね(※1)。

 

今回取り上げたお言葉「バンカーショットは、最もやさしいショット。なぜならボールを打たなくていいのだから」。こちらもなかなか難しい。バンカーから抜け出せなくなった経験のあるゴルファーには謎かけのようにも聞こえてくることでしょう。

 

バーク・ジュニアの答えはこうです。

 

“10cmくらい手前を思い切ってアバウトに打つ。そうすればホームランにはならないし、砂をたくさん飛ばす勢いでボールも一緒に飛び出す。あまり深く掘り過ぎず、できれば砂をサーッと薄めに取る。そうすれば、ふわふわの砂だろうが、濡れた硬い砂でも確実に出るからね。”

 

いかがでしょうか? バンカーに落としてしまったら、ぜひバーク・ジュニアの言葉を思い出してみてください。

 

(※1)
パーセンテージ・ゴルフの解説は、こちらのサイトに詳しく掲載されていますのでご興味のある方は、読んでみると、なるほど!と思えるかもしれません。
「プレーできないショットを知れ」――ジャック・バーク・ジュニア(出典:幻冬舎plus)

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,37 片山晋呉

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第37回は、

 

生涯獲得賞金は20億円超え!

ゴルフ界きっての理論派。


★片山晋呉

 

 

出身:茨城県下館市(現・筑西市)
生年月日:1973年1月31日(49歳)

 

 

 

ショートウッドはミドルアイアンのように振れ

 

ぼくは、ショートウッドをフェアウェイウッドとは思っていない。ミドルアイアンだと思って、そのようにスイングしている。

 

 

 

 

22歳でプロになってからも、飽くなき探究心で、ゴルフのモチベーションをキープし続けている片山さん。2020年には、YouTubeチャンネルも開設され、賞金王の経験や理論に基づいて、レッスン動画を配信されています。

 

 

45 GOLF – 片山晋呉チャンネルはこちら

 

 

 

 

 

2歳半でゴルフに興味を持ち始め、中学時代にジュニア大会優勝。
ゴルフの名門・水城高校に通いながらナショナルチームにも所属。
日本大学へ進み、日本アマやマッチプレー、3年時の1993年には『日本オープン』3位、グローイング競技(現チャレンジ競技)の『水戸グリーンオープン』優勝などアマ33勝のタイトルを獲得。プロ転向後は米国でミニツアーに参戦するなどし、初シード獲得は3年目の97年。
翌年春に胸部椎間板ヘルニアの手術を受け、復帰が危ぶまれていたが、6月にツアーに戻ると8月の『サンコーグランドサマー』で初優勝を飾った。
’00年には最大で約6504万円差をつけられていたが、土壇場で4戦3勝をマークして大逆転で初の年間5勝を挙げて賞金王に輝き、04年、05年、06年、と賞金王を重ね、07年の『日本ゴルフツアー選手権』で日本タイトル4冠も達成した。
08年『日本オープン』でツアー25勝に到達し遂に悲願の史上7人目の永久シード選手となり、08年度の賞金王にも輝きこの年は青木功に並ぶ歴代2位、通算5度目の賞金王にも輝いた。ゴルフ界きっての理論派であり、早くからショートウッドを採り入れるなど、合理的なクラブ選びや高い技術でパワー不足を補って海外でも活躍。
01年『全米プロ』では2日目に首位に並ぶなどして4位に入り、09年には『マスターズ』でも4位に食い込んでいる。
08年以降は優勝から遠ざかっていたが、13年の『コカ・コーラ東海クラシック』で5年ぶりの優勝。
14年は『カシオワールドオープン』で最終日に65をマークして4位から逆転。杉原輝雄と並ぶ歴代6位、そして15年『三井住友太平洋VISAマスターズ』優勝とツアー通算29勝目を挙げた。

 

 

引用:片山晋呉 公式サイト

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,36 レイモンド・フロイド

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第36回は、

 

変則スイングで殿堂入り。

破天荒な豪傑天才ゴルファー


★レイモンド・フロイド

 

 

出身:ノースカロライナ州フォートブラッグ
生年月日:1942年9月4日 (79歳)

 

 

 

どれでもいいから、うまく寄せられるクラブを使っているだけだ。

 

どういうクラブで打つかではないよ。

 

繰り返してうまくいくやり方こそが大事なんだよ。

 

 

 

 

 


(Youtube/Wayne Defrancesco Golf Learning Center))

Ray Floyd Golf Swing Analysis

 

 

 

フロイドは1942年9月4日にノースカロライナ州フォートブラッグで生まれました。高校時代はゴルフと野球、そのどちらにも精通し、野球ではピッチャーとしてメジャーからスカウトされるほどの腕前だったとか。

 

1960年、全米青年会議所ゴルフトーナメントで優勝し、翌年1961年プロに転向。初勝利は、1963年20歳の時。サンクトペテルブルクオープンインビテーショナルで3,500ドルを獲得しました。1969年の全米プロゴルフ選手権で最初のメジャータイトルを獲得しますが、次の勝利までには6年もかかっています。

 

1976年のマスターズで17アンダーの圧勝で爆発的才能を見せ、ようやく2つめのメジャータイトルを獲得。その頃から一貫してゴルフに打ち込んでいきます。1976年以降9年連続で17位以上に入賞するなど1970年代から80年代にかけての活躍は目覚ましく、トータル4つのメジャーと4つのシニアメジャー獲得を含む、PGAツアーとシニアPGAツアーの両方で多数の優勝しましたが、全英オープンだけメジャーでの優勝を果たすことができず、グランドスラムの達成には及びませんでした。

 

また、8つのライダーカップチームでプレーし、51歳で史上最年長のライダーカッププレーヤーとなっています。

 

フロイドは、そのいくつもの輝かしい成績と、驚異的なパワーとソフトなタッチを組み合わせた最初のプレーヤーのひとりと評価され、1989年に世界ゴルフ殿堂入りしています。
2010年のマスターズの前夜に、フロイドは競技ゴルフからの引退を発表。その後も後進の育成につとめ、ゴルフコースデザイン会社を立ち上げるなど、ゴルファーとしての道を歩み続けています。

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,35 ジョン・ラーム

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第35回は、

 

2021年全米オープンでメジャー初優勝。

スペイン人として初の快挙を成し遂げた“ランボー”


★ジョン・ラーム

 

 

出身:スペイン・バスク州ビスカヤ県
生年月日:1994年11月10日 (27歳)

 

 

 

昔の自分なら、もし怒りを感じてもそれを沈めるための

 

言い訳をいつも用意していた。

 

でも今は、息子にとって模範の人間なんだ。

 

 

出典:ゴルフ・グローバル

 

 

 

画像引用:Wikimedia

 

 

 

1994年にスペインのバスク州ビスカヤ県に生まれたジョン・ラームは、大学進学を機に渡米。
フィル・ミケルソンやポール・ケーシーなどの卒業生がいるアメリカのアリゾナ州立大学に進学し、在学中にカレッジゴルフで通算11勝を挙げます。

 

2015年と2016年にはカレッジゴルフ界最高の賞であるベン・ホーガン賞を2年連続で受賞していますが、同賞で2年連続受賞しれいるのは、ジョン・ラームのみ。そしてその間、世界アマチュアランク1位にも輝いています。

 

2016年にプロ転向後、翌年「ファーマーズ・インシュランス・オープン」で、米国男子ツアー初優勝。活躍の場は米国にとどまらず、2019年には欧州ツアーで年間3勝を挙げ、初の年間王者に。

 

2020年「ザ・メモリアルトーナメント」で4シーズン連続優勝を達成すると、憧れのセベ・バレステロス以来スペイン勢2人目となる世界ランキング1位に浮上し、2021年6月には、スペイン人初となる「全米オープン」を制しました。

 

188センチの恵まれた体格とスピード感あふれるスイングを生かし、平均飛距離300ヤードは当たり前。ラウンド中は、感情をむき出しにしてプレーすることで知られるジョン・ラームにつけられたニックネームは“ランボー” 。愛息の誕生は「全米オープン」メジャー優勝の要因になるほど、精神面で変化があったと語っています。技術、パワー、実力揃ったゴルフの申し子とも称されるジョン・ラーム。今後、魅せるプレーでどんな勝負を見せてくれるか、楽しみな選手です。

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,34 石川遼

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第34回は、

 

社会に旋風を巻き起こした“ハニカミ王子”

 


数々の史上最年少記録を打ち立てた

★石川遼

 

 

出身:埼玉県北葛飾郡松伏町
生年月日:1991年9月17日(30歳)

 

 

 

一番大事なのは自分のゴルフで目指しているものを

 

見失わないでやりつづけることですね。

 

 

出典:ハーフタイム

 

 

 

週刊ジュニアゴルフ教室 石川遼からの挑戦状 基礎トレーニング・レッスン編 [DVD]

画像引用:Amazon

 

 

 

 

6歳のとき、父に連れられて練習場に行ったことがきっかけでゴルフを始め、ジュニア時代から輝かしい成績をおさめる。
高校1年生だった2007年、初めて出場したプロトーナメント「マンシングウェアオープンKSBカップ」で、史上最年少の15歳8ヶ月で優勝を飾る。「ハニカミ王子」の愛称で一躍脚光を浴び、低迷していた男子ゴルフの人気のきっかけとなった。

 

翌2008年1月にプロ転向。プロ1年目の2008年は、11月に「マイナビABCチャンピオンシップ」でプロとして初優勝を果たすなど、賞金ランキングで5位に入り、1億円プレーヤーとなる。そして、プロ2年目の2009年、「マスターズ」などの海外トーナメントに出場。年間で4勝を挙げ1億8000万円を超える賞金を獲得、史上最年少での賞金王に輝く。

 

2010年5月には「中日クラウンズ」で優勝、最終日にマークしたスコア「58」が、「世界最少ストローク」としてギネスブックに正式に認定される。

 

2012年、「三井住友VISA太平洋マスターズ」で、2010年の同大会以来、2年ぶりのツアー優勝を飾り、史上最年少で通算10勝目を挙げた。同年、マスターズなど4大メジャーを含む世界最高峰の米国プロゴルフツアー・PGAツアーに18試合出場し、自身初のシード権を獲得。
2013年からは米国ツアーを主戦場に移し、二度2位を記録したが未勝利。2016年は腰の故障で半年近く戦線離脱し、2017年秋から再び国内を主戦場にした。

 

2019シーズン(日本プロ)は3年ぶりプレーオフを制して優勝し、その後「セガサミーカップ」最終戦の「日本シリーズ」で優勝。通算17勝目を飾り、生涯獲得賞金10億円突破を最年少で達成した。

 

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,33 デビッド・レッドベター

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第33回は、

 

プロを教えるプロ

“世界一のゴルフコーチ”

 

 

★デビッド・レッドベター(David Leadbetter)

 

 

出身:サセックス州ワージング・イングランド
生年月日:1952〜

 

 

 

日本人のアイアンが下手な原因は、練習マット、

 

高麗芝、そして飛距離重視主義にあると思います

 

 

出典:ゴルフダイジェスト

 

 

 

画像引用:Amazon

 

 

  • 出版社 ‏ : ‎ ゴルフダイジェスト社 (2016/12/2)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2016/12/2
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 240ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4772841717
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4772841719

 

 

 

 

デビッド・レッドベターは、イギリスのサセックス州ワージングに生まれ、11歳のときにローデシア(ザンビア・ジンバブエ)に移住、 1969年にツアープロへ転向しました。1982年にアメリカ・フロリダ州に移り、ゴルフスクールを開設します。その後、1988年にオーランドのレイク・ノーナ・ゴルフ・アンド・カントリークラブに活動拠点を移し、そこでニック・ファルド、ニック・プライスらを指導し、名声をあげます。

 

トム・ワトソン、グレッグ・ノーマン、アーニー・エルスなど超一流プロゴルファーのコーチとして、数々のメジャータイトルを獲得。全世界で100勝以上の勝利に貢献するなど、コーチを職業にした初めての人物です。歴代世界ランキング1位選手の約半数がレッドベターの指導を受けていると言われています。

 

『ザ・アスレチックスウィング』をはじめ、著書の数々は、すでに全世界で100万部の発行部数を突破。全世界で35校以上のアカデミーを展開しています。

 

 

 

 

 

レッドベターゴルフアカデミー日本校 公式HP→こちら

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,32 エルスワース・バインズ

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第32回は、

 

テニスのビッグタイトルを手にして、
絶頂期にゴルフに転向。

 

 

“異色のゴルファー”

 

エルスワース・バインズEllsworth Vines

 

 

出身:カリフォルニア州ロサンゼルス
生年月日:1911年9月28日 

没年月日:1994年3月17日(82歳)

 

 

 

ゴルフは学べば学ぶほど、悩めば悩むほど、

 

その世界が広くなっていく。

 

 

 

画像:wikipedia

 

 

バインズは元は、テニスでトップに上り詰めた才能豊かなプレイヤーでした。1930年代前半に活躍した選手で、1931年・1932年の全米選手権と1932年のウィンブルドン選手権男子シングルスで優勝し、4大大会で3勝を挙げます。アメリカの男子テニス選手として、ビル・チルデンやビル・ジョンストンの後に続く世代に位置しています。

 

バインズはテニス選手としての絶頂期、1930年代の終わり頃に、プロゴルファーに転向します。その後はゴルフの「ティーチング・プロ」として生計を立てています。バインズはゴルフでも1951年の全米プロゴルフ選手権でベスト4に進出するなど、好成績を収めています。

 

テニスからゴルフに転向した訳が、今回の名言にああります。
日本では、尾崎将司がプロ野球の世界からゴルフへ転向して成功したことが有名ですが、特定競技で極めた人物だからこそ、よりゴルフの世界に魅了され、広く深く、探究心が駆り立てられたのかもしれません。悩むことの楽しさを知ったとはいえ、転向後はどんな挫折や苦難があったことでしょう。趣味に留まらず、両競技で成功を収めた傑物の言葉には、ポジティブな好奇心と向き合う精神力が伺えます。

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,31 ハリー・バードン

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第31回は、

 

全英オープン6勝は今なお破られない大記録!
英国ゴルフ全盛期の「三巨頭」の一人。

 

 

“バードングリップ生みの親”

 

★ハリー・バードン(Henry William “Harry” Vardon)

 

 

出身:チャンネル諸島、ジャージー島
生年月日:1870年5月9日 

没年月日:1937年3月20日(66歳)

 

 

 

方向性が悪いゴルファーはグリップに問題がある。

 

スイングのせいでないことに気づけば修正できる。

 

 

 

画像:wikipedia

 

 

チャンネル諸島・ジャージー島で生まれたバードンは、10代でキャディーを始め、本土からやって来たゴルファーを見て独学でゴルフを始めました。ゴルフのキャリアを追求するため18歳でイギリスへ渡り、スタッドリーロイヤルゴルフクラブでグリーンキーパーとして働いた1年後、20歳の時に、クラブプロになりました。ボタン付きのジャケット、ニッカボッカーズのネクタイ姿でゴルフをした最初のゴルファーと言われています。

 

現在でも、世界中大多数のゴルファーに採用されている「オーバーラッピング・グリップ」を実践した人物で、別名「バードン・グリップ」としても知られています。

 

バードンは、自作でクラブを作り、遊びで始めたゴルフですが、そのシャフトは薔薇の木で出来ていたといいます。削った棘の部分を握る時、どうすれば痛くないかを考え、これが「バードン・グリップ」の原点となりました。
「バードン・グリップ」は、右手の小指1本を外すことによって“右手4対左手5”という画期的で、しかも理にかなった理想的なグリップとなります。プロ・アマを問わず世界中のゴルファーの90%が、バードングリップを採用しています。

 

1896年、1898年、1899年、1903年、1911年に全英オープンで優勝。そして1914年と1900年に全米オープンでの優勝と、その才能の開花はめざましく、48のトーナメントと21のチームイベントに勝ちました。これは、ゴルフの歴史の中で、1人のプレーヤーがその時点で獲得したタイトルの中で最も多かったものです。

 

1974年、ゴルフ殿堂入り。現在のPGAツアーで、年間平均最少ストロークを出したツアープロ選手に贈られる「バードン・トロフィー」は、バードンの偉業を讃え、その名を由来としています。温厚な人柄の陰に隠れた日々の努力と研究姿勢こそ、ゴルファーたちの尊敬を集め、目標とされています。まさに「近代ゴルフの父」とされる偉大なゴルファーです。