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Category: 世界の名プレイヤー【今月のお言葉】


世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,33 デビッド・レッドベター

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第33回は、

 

プロを教えるプロ

“世界一のゴルフコーチ”

 

 

★デビッド・レッドベター(David Leadbetter)

 

 

出身:サセックス州ワージング・イングランド
生年月日:1952〜

 

 

 

日本人のアイアンが下手な原因は、練習マット、

 

高麗芝、そして飛距離重視主義にあると思います

 

 

出典:ゴルフダイジェスト

 

 

 

画像引用:Amazon

 

 

  • 出版社 ‏ : ‎ ゴルフダイジェスト社 (2016/12/2)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2016/12/2
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 240ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4772841717
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4772841719

 

 

 

 

デビッド・レッドベターは、イギリスのサセックス州ワージングに生まれ、11歳のときにローデシア(ザンビア・ジンバブエ)に移住、 1969年にツアープロへ転向しました。1982年にアメリカ・フロリダ州に移り、ゴルフスクールを開設します。その後、1988年にオーランドのレイク・ノーナ・ゴルフ・アンド・カントリークラブに活動拠点を移し、そこでニック・ファルド、ニック・プライスらを指導し、名声をあげます。

 

トム・ワトソン、グレッグ・ノーマン、アーニー・エルスなど超一流プロゴルファーのコーチとして、数々のメジャータイトルを獲得。全世界で100勝以上の勝利に貢献するなど、コーチを職業にした初めての人物です。歴代世界ランキング1位選手の約半数がレッドベターの指導を受けていると言われています。

 

『ザ・アスレチックスウィング』をはじめ、著書の数々は、すでに全世界で100万部の発行部数を突破。全世界で35校以上のアカデミーを展開しています。

 

 

 

 

 

レッドベターゴルフアカデミー日本校 公式HP→こちら

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,32 エルスワース・バインズ

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第32回は、

 

テニスのビッグタイトルを手にして、
絶頂期にゴルフに転向。

 

 

“異色のゴルファー”

 

エルスワース・バインズEllsworth Vines

 

 

出身:カリフォルニア州ロサンゼルス
生年月日:1911年9月28日 

没年月日:1994年3月17日(82歳)

 

 

 

ゴルフは学べば学ぶほど、悩めば悩むほど、

 

その世界が広くなっていく。

 

 

 

画像:wikipedia

 

 

バインズは元は、テニスでトップに上り詰めた才能豊かなプレイヤーでした。1930年代前半に活躍した選手で、1931年・1932年の全米選手権と1932年のウィンブルドン選手権男子シングルスで優勝し、4大大会で3勝を挙げます。アメリカの男子テニス選手として、ビル・チルデンやビル・ジョンストンの後に続く世代に位置しています。

 

バインズはテニス選手としての絶頂期、1930年代の終わり頃に、プロゴルファーに転向します。その後はゴルフの「ティーチング・プロ」として生計を立てています。バインズはゴルフでも1951年の全米プロゴルフ選手権でベスト4に進出するなど、好成績を収めています。

 

テニスからゴルフに転向した訳が、今回の名言にああります。
日本では、尾崎将司がプロ野球の世界からゴルフへ転向して成功したことが有名ですが、特定競技で極めた人物だからこそ、よりゴルフの世界に魅了され、広く深く、探究心が駆り立てられたのかもしれません。悩むことの楽しさを知ったとはいえ、転向後はどんな挫折や苦難があったことでしょう。趣味に留まらず、両競技で成功を収めた傑物の言葉には、ポジティブな好奇心と向き合う精神力が伺えます。

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,31 ハリー・バードン

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第31回は、

 

全英オープン6勝は今なお破られない大記録!
英国ゴルフ全盛期の「三巨頭」の一人。

 

 

“バードングリップ生みの親”

 

★ハリー・バードン(Henry William “Harry” Vardon)

 

 

出身:チャンネル諸島、ジャージー島
生年月日:1870年5月9日 

没年月日:1937年3月20日(66歳)

 

 

 

方向性が悪いゴルファーはグリップに問題がある。

 

スイングのせいでないことに気づけば修正できる。

 

 

 

画像:wikipedia

 

 

チャンネル諸島・ジャージー島で生まれたバードンは、10代でキャディーを始め、本土からやって来たゴルファーを見て独学でゴルフを始めました。ゴルフのキャリアを追求するため18歳でイギリスへ渡り、スタッドリーロイヤルゴルフクラブでグリーンキーパーとして働いた1年後、20歳の時に、クラブプロになりました。ボタン付きのジャケット、ニッカボッカーズのネクタイ姿でゴルフをした最初のゴルファーと言われています。

 

現在でも、世界中大多数のゴルファーに採用されている「オーバーラッピング・グリップ」を実践した人物で、別名「バードン・グリップ」としても知られています。

 

バードンは、自作でクラブを作り、遊びで始めたゴルフですが、そのシャフトは薔薇の木で出来ていたといいます。削った棘の部分を握る時、どうすれば痛くないかを考え、これが「バードン・グリップ」の原点となりました。
「バードン・グリップ」は、右手の小指1本を外すことによって“右手4対左手5”という画期的で、しかも理にかなった理想的なグリップとなります。プロ・アマを問わず世界中のゴルファーの90%が、バードングリップを採用しています。

 

1896年、1898年、1899年、1903年、1911年に全英オープンで優勝。そして1914年と1900年に全米オープンでの優勝と、その才能の開花はめざましく、48のトーナメントと21のチームイベントに勝ちました。これは、ゴルフの歴史の中で、1人のプレーヤーがその時点で獲得したタイトルの中で最も多かったものです。

 

1974年、ゴルフ殿堂入り。現在のPGAツアーで、年間平均最少ストロークを出したツアープロ選手に贈られる「バードン・トロフィー」は、バードンの偉業を讃え、その名を由来としています。温厚な人柄の陰に隠れた日々の努力と研究姿勢こそ、ゴルファーたちの尊敬を集め、目標とされています。まさに「近代ゴルフの父」とされる偉大なゴルファーです。

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,30 ゲーリー・プレーヤー

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第30回は、

 

ジャック・ニクラス、アーノルド・パーマーと並んで「ビッグスリー」の一人

 

 

“南アの黒豹”

 

★ゲーリー・プレーヤー(Gary Player)

 

 

出身:南アフリカ共和国・ヨハネスブルグ
生年月日:1935年11月1日(86歳)

 

 

 

一生懸命努力すればするほど、運は味方する。

 

“The harder you work, the luckier you get.”

 

 

 

画像:wikipedia

 

 

1935年に南アフリカのヨハネスブルグで生まれたプレーヤーは、14歳でゴルフを始め、1953年、18歳でプロに転向します。そして、プロ転向4年後にPGAツアーに初参加。1959年の全英オープンでメジャー大会初優勝を達成。マスターズ・トーナメントは1961年、全米プロゴルフ選手権は1962年に初優勝を果たし、ついに1965年、男子ゴルフ史上3人目(ジーン・サラゼン、ベン・ホーガンに続く)となる「キャリア・グランドスラム(世界4大メジャー大会制覇)」を達成しました。

 

プレーヤーの優勝回数は100勝を上回り、メジャー大会優勝記録は通算9勝。これは、ベン・ホーガンと並ぶ歴代4位タイ記録となっています。1974年に世界ゴルフ殿堂が設立されるとすぐに、プレーヤーは殿堂入りを果します。

 

ゴルフクラブなど使用するウエア、用具をすべて黒色で統一していることから、「南アの黒豹」と称され、ジャック・ニクラス、アーノルド・パーマーとともに『ビッグスリー』として、世界のゴルフシーンを常にリード。今なお、プロゴルフ界の重鎮として多大な尊敬を集めています。

 

出典
Wikipedia

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,29 バイロン・ネルソン

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第29回は、

 

米国ゴルフ史上に残る名選手

 

★バイロン・ネルソン(Byron Nelson)

 

 

出身:テキサス州ワクサハチー
生年月日:1912年2月4日
没年月日:2006年9月26日(94歳没)

 

 

 

死ぬまで『欲』はまとわりつくが、

 

練習することによって『不安』は即座に解決される。

 

 

 

画像:wikimedia

 

バイロン・ネルソンは、1912年アメリカ・テキサス州ワクサハチー生まれのプロゴルファー。同郷、同じ年生まれにベン・ホーガン、サム・スニードがおり、彼らと並ぶ偉大なゴルファーであった。フルネームは John Byron Nelson, Jr. というが、「バイロン・ネルソン」の名前の方がよく知られている。

 

バイロン・ネルソンは、ベン・ホーガンと共にレンガーデンのキャディとして雇われ12歳で初めてクラブを握る。17歳になるとトップアマとして知られるようになり20歳でプロ転向を果たす。

 

PGAツアーで通算「52勝」を記録し、メジャー大会でもマスターズ2勝、全米オープン1勝、全米プロゴルフ2勝、総計「5勝」を果たした。バイロン・ネルソンが保持する記録としては、年間公式戦18勝、11連勝、19ラウンド連続60台、120ラウンドの平均ストローク68.33、72ホールズ259ストロークの世界記録などがある。これらはいずれも1945年に成し遂げられ、いまだかつて破られていない大記録である。

 

1946年を最後にツアーから引退するも、その後もマスターズには出場し続け、長年スターターを務めた。1974年に世界ゴルフ殿堂が設立された際に殿堂入り。晩年は彼の名前を冠したPGAツアー大会「バイロン・ネルソン・クラシック」のホストを務めた。2006年9月26日、老衰のため94歳で死去。

 

 

出典
Wikipedia

バイロンネルソンカントリークラブ

 

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,28 申ジエ

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第28回は、

 

最終ラウンドで強さを発揮する「Final Round Queen」

 

★申ジエ 

 

 

出身:韓国・全羅道
生年月日:1988年4月28日

 

 

 

“負けないメンタル”と“勝つメンタル”は

 

一見同じ意味のようですが、明らかに違いがあります。

 

出典:Number web

 

 

画像:wikimedia

 

父の勧めで11歳からゴルフを始め、2007年に韓国ツアー19戦10勝と驚異的な勝率を記録。
08年「ヨコハマタイヤPRGRレディスカップ」で日本ツアー初優勝。同年「全英リコー女子」を含む米ツアー4勝。09年に米ツアーの賞金女王となり、10年に世界ランキング1位にも到達。

14年からは身体的な負担を理由に米ツアーの会員資格を放棄し、主戦場を日本に移した。15年「meijiカップ」の第2ラウンドから「CAT Ladies」の第1ラウンドの4番まで81ホール連続ノーボギーを続け、当時の日本記録を更新。

18年はツアー史上初となる公式戦(メジャー)年間3勝を達成し、7年シードを獲得。19年には平均ストローク「69.9399」をマークし、ツアー史上初となる60台を成し遂げた。20年「富士通レディース」優勝で生涯獲得賞金は10億円を突破。同年は「TOTOジャパンクラシック」も制した。
21年「ニチレイレディス」に続き「大東建託・いい部屋ネットレディス」を制して日本で28勝目。

(出典:GDOニュース

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,27 ブライソン・デシャンボー

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第27回は、

 

世界一の飛ばし屋

 

ブライソン・デシャンボー

 

 

出身:アメリカ合衆国 カリフォルニア州 クローヴィス
生年月日:1993年9月16日 

 

 

 

僕はある意味、ゴルフ科学者です。

 

僕はそれぞれ、すべての視点からゴルフコースと

 

自分のプレーを分析し、理解しようとしているんだ

 

出典:GDOニュース

 

 

 

 

 

     youtube/ブリヂストンスポーツ

ブライソン・デシャンボーがパフォーマンスを生み出すのは健康的な食事とトレーニング

 

 

モー・ノーマンを彷彿とさせるハンドアップな構え、シンプルなスイングで飛距離では現在一位の飛ばし屋ブライソン・デシャンボー。すべてのアイアンの長さを統一するといった独自の理論を展開し、肉体改造によってツアー屈指の飛ばし屋に変貌を遂げた。ヘッドスピードは57を超え、ボール初速は90キロ超。飛距離も380ヤードをマークするなど、尋常ではない数値を叩き出している。

 

「ゴルフの科学者」と自称するデシャンボーは、カリフォルニア州 クローヴィス出身の28歳。2010年にカルフォルニア州のジュニア選手権を制して頭角を現した。南メソジスト大に進み、15年には「全米アマチュア選手権」と「NCAA全米学生選手権」を制した。16年「マスターズ」を21位で終えた翌週にプロに転向。

 

2017年、ジョンディア・クラシックでツアー初優勝。2020年、全米オープンでメジャー初優勝。ウイングドフットゴルフクラブ・ウエストコース で開催された同大会における最小スコアで2位のマシュー・ウルフに6打差をつけて勝利し、自身の肉体改造等の理論の正しさを証明した。

 

努力する天才に苦難はつきもので、PGAツアー、LPGAツアーが2022年1月より、「パターを除くクラブの長さを46インチ以内に規制」を採用した。46インチ以上のドライバーの使い手には、痛いルール変更になるのか? これまでもデシャンボーはルールの解釈を巡り、何度もUSGAとぶつかってきた。
スロープレーがプロゴルファー仲間からも批判されたことが取り沙汰された事もある。デシャンボーはこれらの課題を、どんなゴルフ科学で乗り切っていくのか? そして更なる変貌を遂げ、どのように円熟していくのか? ディシャンボーの挑戦を見守ってみよう。

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,26 フィル・ミケルソン

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第26回は、

 

希望をありがとう!
50歳で全米プロ優勝を果たした“ビッグ レフティー”

 

フィル・ミケルソン

 

 

出身:アメリカ合衆国 カリフォルニア州 サンディエゴ
生年月日:1970年6月16日

 

 

 

「50って単なる数字でしかないから、何も変わらない。

 

僕の前にはまだまだたくさんの時間があるし、

 

まだまだたくさんのことができる」

出典:ALBA.Netのゴルフニュース

 

 

画像:Wikipedia

 

 

2020年、50歳を迎えるミケルソン選手が語った言葉です。50は単なる数字でしかないことを証明するかのように今年5月、最年長記録で全米プロ優勝を果たしました。これには勇気や希望をもらった人も多いのではないでしょうか。

 

ミケルソン選手は、生後18カ月でボールを打ち始めます。日常では右利きですが、海軍パイロットだった父親のスイングを鏡に映すように真似て覚えたため、ゴルフに限ってはレフティになったとか。アリゾナ州立大時代の1990年に「全米アマチュア選手権」を制し、翌91年には米ツアー「ノーザンテレコム」でアマ優勝。大学卒業後の92年にプロ転向し、翌年93年には「ビュイック招待」でプロ初勝利を果たします。

 

しかし、20代で何度もタイトル獲得のチャンスを逃し“無冠の帝王”とも呼ばれたことも。2004年ようやくマスターズで勝利し、汚名を返上します。05年「全米プロ」で完全優勝、タイガー・ウッズと人気を二分する世界のビッグレフティと呼ばれ、2012年にゴルフ殿堂入りとなりました。

 

シャフトのしなりを生かした効率的なスイングで、50歳を超えた今も300ヤードを飛ばせるのは驚異的。ドライバーからウエッジまで同じリズムで振れるそのスイングは、研究のし甲斐がありそうです。
スーパースターのこれからの活躍も応援しつつ、期待が高まります。

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,25 稲見萌寧

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第25回は、

 

“日本ゴルフ界 初メダル”
2020東京オリンピック銀メダルおめでとう!

 

稲見 萌寧 Mone Inami

 

 

出身:東京都
生年月日:1999年7月29日

 

 

 

「メダルより、楽しみながら回りたい。」

 

 

 

2021年の国内ツアーで圧倒的な成績を残す若手の成長株が快進撃を続けている。家族の勧めで9歳の時にゴルフを始めた稲見 萌寧。「初めてクラブを握った時から空振りを一切せず、いいスイングで打てていた」と本人が振り返っている。小学校5年生から千葉県の北谷津ゴルフガーデンに通い、周囲から「練習の虫」と呼ばれるほど、圧倒的な練習量で、自他ともに認める「完璧主義」。優勝した大会の翌日でも練習を欠かすことはなく、気がすむまで練習に打ち込み、1日10時間に及ぶこともあるという。

 

 

「完璧主義者なので全部向上させたい。負けたくない気持ちが強い。」

 

 

負けず嫌いで努力家の性格も、強さを支える精神力につながっている。正確なアイアンショットが持ち味で、確実にチャンスにつける武器として精度を上げてきた。2019年のパーオン率は78.2079%で、国内女子ツアー歴代最高を記録している。

 

 

2021年は課題だったパターのフォームを改善し、ウエイトトレーニングやキックボクシングなどで体幹を鍛えながら1日4食の食事で体を作ってきた。こうした練習と努力もあって国内ツアーでは、6月末時点で5勝、さらには、日本人初のオリンピック銀メダル獲得と快進撃は止まらない。

 

 

オリンピック開幕前から「メダルより、自分の順位やスコアを1つでも上げたい」
「楽しく回りたい」
と一貫して口にしてきた。技術も精神力も鍛え抜かれた成果が銀色に光って現れた。次なる目標は、国内ツアーで通算30勝をあげた選手に与えられる永久シード権の獲得だ。常に高みを目指す稲見 萌寧からしばらく目が離せない。

 

 

 

世界の名プレイヤー 【今月のお言葉】No,24 戸田藤一郎

 

 

 

ゴルフを愛し、ゴルフの神様に愛された世界の名プレイヤーたちの珠玉の名言

 

ひたむきに練習した時、闘いに挑む時、勝利した時、思わぬ結果が出た時、あの日あの時、あのプレイヤーは何を思っただろう。
その言葉が生まれたのは、グリーンの上だったかもしれない、ふと空を仰ぎ見た時かもしれない、または何もしない時?

 

ゴルフの上達のヒントに。ビジネスの上でも、ひらめきのヒントに。
ゴルフを極めし者たちの生きた言葉を感じてみよう。

 

 

 

第24回は、

 

鬼才!日本最強のプロゴルファー。

 

戸田藤一郎

 

 

出身:兵庫県・神戸市
生年月日:1914年11月22日
没年月日:1984年7月11日(69歳)

 

 

 

半端なゴルファーほど自分のスウィングについて

 

語りたがる。

 

 

昭和8年、当時18歳で第一人者の宮本留吉を1打差で下し、関西オープンで優勝する快挙を打ち立て、昭和14年(1939年)には、24歳で日本オープン、日本プロ、関西オープン、関西プロに勝ち、当時の年間グランドスラムを達成している。日本男子プロゴルフ界に、初めての年間グランドスラマーが誕生瞬間である。(日本で2人目の年間グランドスラマーとなったのは、1975年の村上隆)

 

戸田は、海外でも足跡を残しており、1936年のハリウッドオープンでは2位と健闘した。同年には台湾出身の陳清水とともに日本選手マスターズ初出場を果たし、29位に入っている。
後に戸田の代名詞となる「パンチショット」は、この遠征中にハリー・クーパーにアドバイスをもらったことをきっかけとする。
アメリカ人選手にも引けを取らない戸田のドライバーショットは、300ヤードのロングドライブ。一緒にラウンドしたボビー・ジョーンズを驚かせたという。サム・スニード、ジーン・サラゼンなど、名高い選手からの評価も高かった。

 

そんな活躍の中で、私生活の堕落と倶楽部メンバーのクラブを勝手に売り払ったことから、1948年にゴルフ界を追放される。10年以上と永く出場停止と不遇の時代があったが、1959年にプロ復帰を許されると、パンチショットを駆使して年齢を重ねてからも輝きを放ち、1963年には48歳の最年長で日本オープンに優勝。1971年には56歳にして関西プロを制している。

 

2012年、第1回日本プロゴルフ殿堂入り。

 

 

戸田藤一郎の破天荒な勝負師人生を知る1冊

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    本当は小心者だった。だから女に溺れ大酒を飲んだ。でも人に隠れて、猛練習をした。心を読まれないように黒いシャツ、黒いズボン、黒い眼鏡で試合にのぞんだ。武器は、「右手はアクセルや。右手のスピードで飛ばすのや」300ヤードのロングドライブと、風を切り裂いてピンに絡むパンチショット。十八歳で初優勝、二十四歳でグランドスラムを達成し、戦争の十年をはさんでまた優勝、戸田藤一郎の破天荒な勝負師人生。解説・陳 清波。

    (出典:Amazon

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  • 出版社 ‏ : ‎ 
    小学館 (1999/9/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1999/9/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 299ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4094170510
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4094170511